米ラッパー、ショーン・コムズの黒歴史 騒動と疑惑の時系列まとめ

性的人身売買などの罪に問われているショーン・コムズの半生は騒動や訴訟の連続(Shareif Ziyadat/Getty Images)

今年9月、性的人身売買や恐喝など複数の容疑で起訴されたディディこと音楽界の大物ショーン・コムズ。この数カ月、性的暴行をはじめとする罪を犯したとして方々から訴えられた末、9月17日、性的人身売買強制、恐喝陰謀、詐欺または威圧による州をまたいだ売春行為の罪で起訴された。コムズの弁護人マーク・アニフィロ氏は「不当な起訴」だとし、依頼人は「無実の人間で、何も隠し立てすることはない」と発言した。

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昨年11月、キャシーことカサンドラ・ベンチュラがニューヨーク連邦裁判所でコムズを訴えたのを皮切りに、なし崩しに訴訟が起こされた。ベンチュラが申し立てた訴状には、元恋人のコムズによる性的暴行や身体的虐待の他、目の前で男性のセックスワーカーと性交を強制された疑惑が赤裸々に記載されていた。

音楽業界の大物で起業家でもあるコムズが騒動に巻き込まれたのは今回が初めてではない。本人は「ブラザー・ラヴ」としてイメージチェンジを図っているが、長きにわたる暴力疑惑の歴史は90年代にまでさかのぼる。重大犯罪で有罪が確定したことはないものの、元恋人のベンチュラやジーナ・ハン(2019年に身体虐待を受けたと主張)に始まり、音楽プロデューサーのスティーヴ・スタウト、ラッパーのJ・コールやドレイクに至るまで、あらゆる面々と暴力事件を起こした疑いが度々持ち上がっている。

ベンチュラの訴訟に対し、コムズの弁護人ベン・ブラフマン氏はニューヨークタイムズ紙との取材でこう語った。「コムズ氏はこのような攻撃的かつ言語道断な疑惑を全面的に否認します。この半年間、コムズ氏はベンチュラ氏から3000万ドルを執拗に請求され、払わなければ交際中のことを書いた暴露本を出すと脅されていましたが、露骨なゆすりと判断して無条件に無視しました。ベンチュラ氏は当初の脅しを引っ込めましたが、今度は根も葉もない真っ赤な嘘だらけの訴訟を起こすという手に打って出ました。コムズ氏の評判に泥を塗り、金をせしめようという魂胆です」。両者は11月17日、非公開の和解額で「友好に」示談したが、その後も数多くの訴訟が続いた。

以下、これまでのコムズの黒歴史を時系列順に追ってみよう。

1991年、ニューヨーク市立大学での致死事件

コムズ共催によるセレブリティ対抗バスケットボール大会とコンサートがニューヨーク市立大学で行われ、9人が死亡、29人が負傷した。イベント当日は収容人数2730人の体育館に5000人もの観客が駆けつけ、現場の警備員では群衆をコントロールしきれなかった。主催側は入口の扉を閉めて入場を制限したが、群衆はドアを破ってロビーになだれ込み、将棋倒しになった。デイヴィッド・ディンキンス市長率いる市政府は「過失責任」と題した67ページにわたる報告書を公表。コムズの雇った警備員は能力不足で経歴も浅かったのが原因だと述べた。コムズは死亡した参加者の遺族から次々訴えられ、2000年に最後の訴訟で和解が成立し、決着した。

1995年、ジェイク・ロブレス銃撃事件

かつて友人関係にあったコムズとDeath Row Recordsの共同創設者マリオン・シュグ・ナイトだが、友情にひびが入り、Death RowとBad Boyの間で激しい対立へと発展した。事の発端は、ナイトの友人(兼ボディガード)のジェイク・ロブレスが、アトランタのクラブの前でBad Boyの面々と口論なり、殺された事件だった。当時フルトン郡保安官補を務めていたクリス・ハワード氏の供述にもあるように、Platinum City Clubでジャーメン・デュプリのバースデーパーティが起こなれた際、Bad Boy側とDeath Row Records側で口論が起きた。ハワード氏はコムズ一行を店外に案内し、人がいなくなったのでナイト一行を外に出しても大丈夫だと判断したそうだ。ところが、ハワード氏がロサンゼルスタイムズ紙に語った話によると、「(ナイトの)連れがリムジンに乗ろうとした瞬間、どこからともなくパフィの連中が隅から現れました……そのうち1人は銃を持っていました」。ハワード氏は銃を持った男の後を追いかけたが、別の人間が銃を受け取り、ロブレスに向かって「2~3回」発砲したそうだ。ロサンゼルスタイムズ紙によると、撃った男は「コムズの取り巻きを乗せた車」に飛び乗ったという。ロブレスは数週間後にアトランタの病院で死亡した。コムズは事件との関係を否定しているが、ナイトはコムズの仕業だと度々口にしている。

1998年、スティーヴ・スタウト襲撃事件

1999年、音楽プロデューサーのスティーヴ・スタウトがコムズと男2人に襲われた。当時ナズのマネージャーだったスタウトが、MTVに間違って別バージョンのミュージックビデオを渡したのが原因だった。ナズと共演した「Hate Me Now」のミュージックビデオには、コムズがイエス・キリストの磔刑を再現したシーンが含まれていた。磔刑のシーンを削除するつもりだったコムズは、ビデオがオンエアされたことに怒り心頭。スタウトの話では、ニューヨーク市のオフィスにコムズと男2人が押し入り、シャンパンのボトルで襲いかかってきたそうだ。コムズは第2級暴行罪と軽犯罪で起訴された。スタウトは顎と腕の骨を折ったと主張しているが、コムズはMTVとの取材で骨折の事実はないと否定し、「確かに奴のオフィスに行った。そこで具体的に何が起きたかは話せないが、ひとつ言えるのは、オフィスでの俺のふるまいは完全に間違っていた。それについてはスティーヴにもその後謝罪したし、自分自身を情けなく感じている」と語った。コムズは罰則として、1日アンガーマネージメント講習を受けるよう命じられた。

1999年、クラブ・ニューヨーク銃撃事件

1999年12月、コムズはBad Boy所属アーティスト、シャインことジャマル・バロウとクラブ・ニューヨークでパーティに興じていた際、うっかりマシュー・スカー・アレンの手にぶつかってドリンクを落としてしまった。アレンがコムズにいちゃもんをつけ、何者かがコムズの顔に金を投げた。さらにアレンはシャインを殺してやると脅した。検察の主張によると、乱闘中に3人とも銃を抜き、シャインはごった返すクラブ内で3回発砲。3人が被弾した。コムズは車内に9ミリ口径の銃を複数所持していたとして逮捕され、武器関連の4件の罪と、銃の所有者は自分だと運転手に偽証するよう金を渡した罪で起訴された。裁判ではシャインとコムズが発砲するのを見たという目撃者も証言したが、コムズはすべての容疑で無罪放免となった。一方シャインは8件のうち5件で有罪判決を受け、懲役10年が言い渡された。

Akiko Kato

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