リル・ヨッティが明かす、変化し続けるラッパーの野心的ヴィジョン

Photo by Gunner Stahl

異彩を放つアトランタ出身のラッパー、リル・ヨッティ(Lil Yachty)がサマーソニック初出演。トリッピーなロックサウンドに舵を切った昨年リリースの『Let's Start Here.』で世界中を震撼させ、今年のコーチェラでは「Lil Boat」という名の巨大ボートと共にパフォーマンスを披露。とあるライブ映像がネットミーム化したのも記憶に新しい。一筋縄でいかないキャリアを歩んできた彼が、問題作に込めた野心的ヴィジョンを語った。

2016年、当時19歳で赤い髪が印象的だったリル・ヨッティは、ヒップホップの世界におけるZ世代を象徴する存在として、シーンに彗星の如く登場した。「Minnesota」等のユニーク極まりない楽曲は多くの注目を集めたが、伝統的なラップの信者たちからは、時折披露されるお世辞にも上手いとは言えない歌も含めて、ヒップホップを冒涜するド素人の「マンブルラッパー」だと揶揄された。それでも、ヨッティは萎縮したりしなかった。それ以降、多くのアーティストがマンネリズムに陥るなかで、ヨッティは次々と新しいことに挑戦し続けてきた。「何をしようと俺の勝手さ」と彼は語る。「ウケるかもしれないし、そっぽを向かれるかもしれない。人生は一度しかないんだ、やりたいようにやるさ」。

彼の最新作『Let's Start Here.』は、これまで以上に挑戦的なレコードだ。サイケデリック・ロックに急接近した本作では、ヨッティは友人たち(アレックス・G、マック・デマルコ、MGMTのベン・ゴールドワッサー、エグゼクティブプロデューサーのSADPONYとパトリック・ウィンダリー)からなるバンドのリードシンガーに徹している。本作で描かれるのは、甘美なメロディと「僕ってすごくプリティ」という自己肯定感に満ちた夢見心地なランドスケープだ。現在26歳のヨッティは、作品のミステリアスなムードを損ねたくないという理由で、本取材を通じてアルバムの制作背景について多くを語ろうとしなかった。デビュー当時のフレンドリーさは影を潜め、最近では公の場で以前のように饒舌に語ることは少なくなっている。「当時は若かったからね。世間知らずだったんだ」。筆者との会話における主なテーマのひとつだった成長することについて、彼はそう口にした。

それでも、テキサスとニューヨークを含む各地で6カ月間にわたって行われたレコーディングの過程について、彼は「楽しかった」と話している。制作途中の楽曲を、ケンドリック・ラマーやJ・コール、エイサップ・ロッキー、ドレイク、タイラー・ザ・クリエイター等の「スーパースターたち」に聴いてもらう機会もあったという。「みんな興奮してたよ。あれは自信になったね」と彼は話す。



タイラー・ザ・クリエイターの助言

ー2022年にロサンゼルスで行われたリスニングパーティの場で、あなたは『Let's Start Here.』というタイトルについて、自身のキャリアの第2期の幕開けという意味もあると語っていました。第1期をあなた自身はどう捉えているのでしょうか?

ヨッティ:楽しみながら学んでいる感じだった。今も同じだけどね、俺は自分が発展途上にあると思っているから。すごく若かったし、自分の居場所や目的、この世界の常識を理解することに精一杯だった。素晴らしいスタートを切れたと思うよ。様々な経験を楽しみながら、いろいろと模索し続けていたんだ。

ーヒップホップの世界は、成長の途上にある若いアーティストにもっと寛容であるべきだと思いますか?

ヨッティ:どうだろうね。どうでもいいって気もする。俺は誰かから認められたくてやってるわけじゃないから。世間からの肯定って重要視されすぎてるよ。

ー今作の制作のきっかけになったのは?

ヨッティ:タイラー(・ザ・クリエイター)からの電話だった。以前からやりたいと思っていたけど、彼と話してスイッチが入ったんだ。

ーその電話の内容はどういうものだったのでしょうか?「やりたいことがある」というあなたの姿勢を、「じゃあやればいい」と彼が後押しした感じでしょうか?

ヨッティ:はっきりとは覚えてないんだけど、彼にすごく刺激されたことは確かだよ。具体的なアイデアを伝えたわけじゃないけど、「心と魂が何かを生み出したがっているのなら、それを形にするべきだ。でもやるからには徹底的にやれ。近道しようとするな」って言ってくれた。


2024年4月21日、コーチェラにて撮影(Photo by Timothy Norris/Getty Images for Coachella)

ー具体的なファーストステップはどういうものでしたか? アルバムで各楽器を演奏しているアーティストたちにコンタクトしたのでしょうか?

ヨッティ:彼らはそれ以前からの友人だよ。誰かに電話をかけたら、その人が別の誰かを紹介してくれるっていうパターンで、芋蔓式に広がっていった。このコンセプトは以前から俺の頭の中にあったし、突如湧いて出てきたわけじゃないんだ。

ー初期のセッションで印象に残っていることは?

ヨッティ:みんな気心の知れた間柄だったからスムーズだった。今作の収録曲にかなり近い状態の曲を、俺は既にたくさんストックしていたんだ。まったく新しいことにチャレンジしようとしたわけじゃないんだよ。俺は物心がつく以前からこういう音楽を聴いていたんだ。リスナーにとっては新鮮かもしれないけど、俺にとってはすごく馴染みのある音楽なんだ。でも、それをどうやって形にすればいいかを知ってるわけじゃなかった。すごくハードルの高いことをやろうとしているっていう自覚はあったよ。(ピンク・フロイドの)『The Dark Side Of The Moon(狂気)』のようなアルバムを聴いて、そういうレベルの作品を作ろうとするのってかなり無謀だからね。



ー過去のインタビューでは幻覚剤について言及していますよね。今作の制作において、それはどの程度重要なファクターでしたか?

ヨッティ:まったく重要じゃない。ゼロだよ。ドラッグをやってレコーディングするのは俺のやり方じゃないんだ。過去に何度も試したことはあるけどね。気分が高揚するサウンドを生み出すのに、ハイになる必要はないんだ。

ー幼い頃からいろんなタイプの音楽に触れていたとのことですが、これまでに「白人の音楽」というレッテルを貼られたことはありますか?

ヨッティ:もちろんあるよ。まったく気にしてないけどね。俺はそう簡単にイラついたりしないんだ。俺は俺の好きなようにやる、それだけさ。このレコードを白人の音楽呼ばわりするやつはたくさんいるけど、どうでもいいよ。白人の音楽って一体何なんだろうね。

Translated by Masaaki Yoshida

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