AI・YOASOBI・J-CLUB 音楽がIP化する時代にtofubeatsが思うこと

一生懸命ボタンを押すこと

若林:にしても、tofuさんの立ち位置はやっぱり独特な気がします。それこそデビュー当時は、ある意味「DTMの旗手」みたいな存在で、その時代のテクノロジーをネイティブとして使いこなす「新世代」だったわけじゃないですか。にも関わらず、そうしたテクノロジーと資本主義とが両輪となってドライブしていくような、ある意味加速主義的な身振りに対しては、一貫して警戒する姿勢を崩していないですよね。

tofu:自分が直接的に一番影響を受けたのは、Para Oneというフランス人のプロデューサーなんです。もともとはTTCというヒップホップグループのプロデューサーで、そこからフランスでオルタナティブなヒップホップを広めるのに一役買ったひとだと思っています。とはいえその後は、Ed Banger Recordsという電子音楽系のレーベルからもリリースしたり、映画音楽の仕事もしたりしていて、ヒップホップから出てきた人が、こんなふうに色々なことがやれるんだ、と思ったんです。

で、そもそもなぜ彼のことを知ったかというと、彼が手がけた浜崎あゆみ「Greatful days」のリミックスを聴いたのがきっかけでした。このリミックスは、もう自分の人生に刻み込まれた大好きな曲で、DJをやるときにもかけまくってます。



若林:何にそんなに衝撃を受けたんですか?

tofu:このリミックスは、トラックの素材を使うんじゃなくて原曲をそのままカットアップして、そこにキックを足したりしているんです。自分が18歳で「WIRE」に出演することになって、そもそもリミックスなんか作ったことないぞと焦っていた時にこれを聴いて、「こうすればいいんだ!」と啓示をもたらしてくれたのがこの作品で、dj newtownの方法論は、完全に、このPara Oneの影響なんです。

若林:ふむ。

tofu:自分がサンプリング的な方法論の何を面白いと感じているかというと、時間をいじくれることなんです。曲を刻んでいくと間に無音の瞬間が訪れて、その「ゼロ」の瞬間がたまらなく面白いんです。

若林:わかるような、わからないような…...つまりデジタルでいうところの「0/1」みたいなこと?

tofu:うーん、ちょっと違うんです。デジタルか否かということより、そこで「一生懸命ボタンを押すこと」が大事というか(笑)。

若林:よくわからないです(笑)。

tofu:自分でも厄介なヤツだなという自覚はあるんです(笑)。それこそ育ってきた関西の環境がそうさせているのかもしれませんが、「自分のことを誰も知らない、例えば老人ホームで観客を満足させられるプレイができるのか」みたいなこととちゃんと向き合えるのかどうかってことが、自分にはとても大事な問いなんです。これは、IPの話とも関わるところですが、キャラクターやイメージとして作られた「アーティスト像」みたいなものの後ろに隠れているような存在でいてはダメなんだ、という感覚があるんです。

若林:「自分をさらけ出す」みたいなこと?

tofu:とはいえ、一方でロックもすごく苦手なんですよ。バンド形式の音楽の中には好きなものもあるんですが、「バンドっぽいマインド」みたいなものを感じ取ると途端に興味がなくなっちゃうことがあって。

若林:それって何なんでしょうね。自分の印象では、バーチャルなものの中にもリアリティってものがあるんだ、ということをtofuさんは、音楽を通して語ってきた感じがするのですが、その辺、なかなか理解するのが難しいです。

tofu:例えば、さっきのYOASOBIの話に戻ると、大谷能生さんが『歌というフィクション』という本の中で、「タイアップソングというのは、上の句であるドラマに対する、下の句のことなんだ」というようなことを書いていて、まさにそうだと思ったんです。それが「ゲーム的」であるということなんだろうなというのが自分の理解です。

若林:それがいいのか悪いのかを語ることが難しいのは、そもそも西洋世界で語られてきた「アート/芸術」みたいなものと、日本で明治以前に作られていた文化が、大きく異なっているからだと思うんです。今の例にしても、短歌を複数人でつくるのは「連歌」という伝統の中で様式としてあったものだと思いますが、そこでは、作品のアート/芸術としての自律性よりも、ある意味コミュニケーションや社交のツールとしての機能が重視されていたわけですよね。

カラオケなんていうものも端的にそうじゃないですか。西洋のアートの考えからしたら、人の作品をド素人がみんなで歌うなんて、冒涜もいいところじゃないですか(笑)。俳句みたいなものにしたって、そもそも「俳句をよむ」と言ったとき、それが意味するのは、念入りに味読・鑑賞する「読む」ではなく、自分もやってみたという意味での「詠む」ですよね。

tofu:あー、「やってみる」が伝統的なお家芸ということですね。ボカロPとか、まさにそれですもんね。

若林:そういう意味で、日本のカルチャーって、根底に「やってみた」というのがある気がしますし、その意味では極めて民主的な文化だった可能性があるのかもしれません。それが社交の一環として作動しているという意味では「ソーシャル」な文化だと言えてしまう。そう考えると、ソーシャルメディア以降の世界は、その意味で日本化していってると言えなくもないですし、であればこそ、日本の文化がここに来て世界的に注目されているのも納得がいく気はします。

tofu:たしかに。そう考えるとカラオケ自体も文化として意味があるということになって来ますね。Ableton Liveを使って音楽を作れるから、より音楽を楽しめて偉いってわけじゃないですもんね。

Text by Yuki Jimbo

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