明石在住の19歳MONONOKEが語る「東京」を描いた理由、変化した都会へのイメージ

MONONOKE

作詞、作曲、編曲、トラックメイキング、アートディレクション……つまり作品にまつわるほぼすべてを自身で手掛ける、兵庫県明石市在住、現在19歳のマルチクリエイターMONONOKE。17歳のときに宅録で作ったという作品をブラッシュアップしたファーストアルバム『Supply/Demand』に続くシングル「トーキョー・ジャーニー」でメジャーデビューを飾るニューカマーだが、そもそも10代で作ったアルバムに「需要と供給」なんてタイトルをつけたり、すでに4枚目までのアルバムの構想が出来上がっていると表明してみたり、その感性や視点はすでに独特の光を放っている。一体MONONOKEとは何者なのか? 彼のこれまでを振り返りながら、その正体に迫ってみよう。

─MONONOKEさんが音楽をやろうと思ったのはいつ頃だったんですか?

小学生の頃から、歌手になりたいみたいな夢はずっとあったんです。本当に一度たりともその夢はブレなかったので、それで自然と音楽活動をやっていくようになっていったんですけど……でもそうやって漠然と「音楽をやりたい」と思っていたものが確信というか、やろうと思えたのはコブクロさんの音楽を聴いたのがきっかけでしたね。そこから中学生になって邦楽のロックを聴くようになったり、年代を遡って、80年代のいわゆるシティポップとか歌謡曲みたいなものを聴き出したりしたんですけど。

─作るときも聴いている音楽から影響を受ける部分は大きいですか?

インプットは音楽から取り入れることが結構多くて。曲のアイデアみたいなものを、音楽を聴いて取り入れるというか。いろいろ聴いている中で「こういう曲を作ってみたいな」とか「こういう曲とこういう曲を混ぜたらどうなるのか」っていう実験的なことをしてみたり、そういう曲作りが多いかなと思います。

―確かに音源を聴いても、本当にさまざまな音楽の要素が混ざり合っている感じがしますよね。

MONONOKEという名前も、自分の音楽性を俯瞰した時にあまりジャンルに関係なく作っているなって感じてつけたんです。妖怪みたいにいろいろな顔を持っているっていう意味で。

─なるほど。7月にアルバム『Supply/Demand』をリリースしましたが、あれは17歳のときに作った音源をリミックスしたものだそうですね。振り返って、あの作品はMONONOKEさんにとってどういうものですか?



作っている当時は「こういうことをやろう」とか「こういうことを伝えたい」みたいなものを淡々と作っていった感じだったんです。今思い返してみると、本当にその時に思っていたリアルな感情だったり、その時に思い描いていた理想像みたいなものを見据えて書いていたりとかもするので、ある種の記録、ドキュメンタリーみたいなアルバムだなあと思います。その時の自分にしか感じられなかった感情や心情をちゃんと音楽に昇華することができたな、と。だからすごく「私的」な音楽だなあと思うんですよ。自分のためにあるような音楽だなって。みんなにこういうところを聴いてほしいっていうのもありつつ、大半は自分を満足させるための音楽だったなっていうのは思います。でもみんなに伝えたいこともちゃんとあるし、そういうバランスが上手く取れてるのかなって、俯瞰して思うことはあります。

─あのアルバムはそうなる前の、文字通りあのときしか作れなかった作品であり音楽であるという感じがしますね。

そうですね。あのアルバムを作れたことが僕にとってはすごい功績で、あのアルバムを聴いてると、高校時代のことを鮮明に思い出せるんです。それこそ記録っていう側面があるんですけど、10代でしっかり音楽をやることができてよかったなっていうのは思いますね。10代のその時にしか思えない感情を曲にできた、音楽にできたっていうのは、個人的にもすごく嬉しいことであり、誇らしいことでもあるなと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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