ニルヴァーナ『In Utero』30周年 チェロ奏者が初めて明かす参加の経緯、制作の舞台裏

『In Utero』、ケラ・シェイリー(Courtesy of Kera Schaley)

ニルヴァーナ(Nirvana)が1993年に発表した代表作『In Utero』の30周年記念盤が10月27日にリリースされた。同作の収録曲「All Apologies」と「Dumb」で、印象的なチェロ演奏を披露したケラ・シェイリー(Kera Schaley)が、ローリングストーン誌に参加の経緯とレコーディングの舞台裏を語る。

米中西部ウィスコンシン州在住のケラ・シェイリー。アメリカで使用されている「ACH送金」という電子資金転送ネットワークの専門家として信用組合で働く彼女は、平凡だが幸せな日々を送っている。だが、いまから30年前、23歳の大学生だったシェイリーは、ニルヴァーナの3rdアルバムにして最後のオリジナルアルバムとなった『In Utero』のレコーディングに参加し、印象的なチェロ演奏を披露した。それにもかかわらず、ニルヴァーナのメンバーと再会することは二度となかった。


ケラ・シェイリー(Courtesy of Kera Schaley)

—そもそも、アルバムに参加したきっかけは? どのようにして声をかけられたのですか?

シェイリー:当時、私はプロデューサーのスティーヴ・アルビニと付き合っていたんです。ある日、カート(・コバーン)がスティーヴに「アルバムにチェロを使いたい」と相談したところ、「チェロなら、俺のガールフレンドが弾けるけど」となったようです。その後、スティーヴに「チェロ奏者が必要になったら、飛行機で飛んできてくれるか?」と訊かれたので、「うん、いいよ」と二つ返事で引き受けました。

—ニルヴァーナがすごいバンドだということはわかっていたと思うのですが、舞い上がったりはしなかったんですね?

シェイリー:変ですよね。いままでたくさんの有名人に会いましたが、いつもそうなんです。なぜかわからないけど、わりと冷静でいられるというか。でも、1回だけそうじゃないことがあって。子どもの頃、博物館の入口でお天気キャスターの男性を見かけたんです。トレードマークの蝶ネクタイでピンときました。あのときだけは、驚きのあまり、すっかり舞い上がってしまいました(笑)。

—1993年頃、シェイリーさんご自身はバンド活動をしていましたか?

シェイリー:していました。あの頃はシカゴにいて、「ダウト」というバンドで活動していました。バンドのメンバーに誘われたのは、あのときが初めてでした。まだ19歳くらいだったので、とてもワクワクしたのを覚えています。年齢のせいで、最初の頃はこっそりナイトクラブに出入りしていました。

—ニルヴァーナとのレコーディングについて詳しく教えてください。

シェイリー:私が参加したのは2、3日だけでした。スタジオには、カートとスティーヴがいました。まずは、スティーヴと一緒にスタジオに入り、音源を聴きました。私だけ、アルバムの曲を聴いたことがありませんでしたから。私の場合、曲を聴いているうちに、わりとすぐにチェロのフレーズが浮かぶんです。あのときもそうで、「Dumb」という曲を聴いて浮かんだフレーズを演奏しました。すると、カートに「うん、いいね。俺がギターで弾くフレーズをチェロでなぞってくれる?」と言われて。半音下げチューニングにしたかどうかは覚えていないのですが、カートが「たいていのロックの曲は、レギュラーチューニング(訳注:開放の状態で6弦がE、5弦がA、4弦がD、3弦がG、2弦がB、1弦がEの音になるギターのチューニング)なんだ。だから、俺たちはわざと半音下げて、少し違って聴こえるようにしてる」と冗談半分に言ったのを覚えています(笑)。当時の私は、予算がないので、とにかくレコーディングには時間をかけないでほしい、という人たちと仕事をすることに慣れていて、そういうやり方が染み付いていました。でも、思っていたよりも時間がかかり、3回目にようやく納得のいくものができました。「時間をかけてしまって、本当にすみません」と謝ったら、カートは笑っていました。

—楽譜を読んで、その通りに演奏できるチェロ奏者はたくさんいると思います。でも、まるでロックバンドのギタリストやベーシストのように、その場でフレーズを思いついて弾ける人はあまりいないのではないのでしょうか。シェイリーさんがそのようなプレースタイルを確立できた理由は?

シェイリー:確かに、これは私の強みだと思います。小学生の頃にチェロを習いはじめたのですが、8年生のときにやめてしまったんです。すべてのティーンエイジャーの例にもれず、その頃から不機嫌になりはじめて。どうしようもなくイライラするときは、「せっかくママに買ってもらったチェロがあるんだから」と、チェロを抱えて、なんとなく遊んでいました。なので、習いはじめた当時は技術的なことを学んでいましたが、徐々に聞こえたものを演奏するようになりました。

Translated by Shoko Natori

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