ジョン・バティステが語るワールドミュージックの再定義、多様な音楽文化をつなぐ秘訣

ジョン・バティステ(Photo by Emman Montalvan)

 
ディズニー/ピクサー映画『ソウルフル・ワールド』劇中曲の「It’s All Right」でアカデミー作曲賞を獲得し、2021年のアルバム『WE ARE』で最優秀アルバム賞を含むグラミー5冠を達成。ジョン・バティステ(Jon Batiste)がジャズ・ピアニストとしてキャリアを出発させた頃を思うと、遠くまで来たものだなと思う。『WE ARE』では故郷ニューオーリンズの伝統的なジャズからヒップホップまで縦断しながら、懐かしくも新しいポップ・アルバムとしてまとめあげる手腕に驚かされたが、最新アルバム『World Music Radio』ではさらなるサプライズが待っていた。



先行シングル「Be Who You Are (Real Magic)」ではミュージカル・ユースによるUKレゲエの名曲「Pass The Dutchie」を引用した楽曲に、ラッパーのJ.I.D、韓国のNewJeans、コロンビアのラテンポップ・スターことカミーロ、シングル「Go」がTikTokから大ヒットしたUKのキャット・バーンズを迎えていたが、アルバムでも歴史や文脈を飛び越えるように、もしくは近年使われることが憚られてきた「ワールドミュージック」という言葉を再定義するように、世界中から多彩なゲストが集結している。

アマピアノを手がける南アフリカのネイティヴ・ソウル、スペインのジャズ・シンガー/トロンボーン奏者のリタ・パイエス、ナイジェリア発ポップスターのファイアボーイ・DML、サウスヒップホップの代表格リル・ウェイン、スムースジャズの帝王ケニー・G、フランスの鬼才音楽家シャソール、ヴィンテージソウルの第一人者であるニック・ウォーターハウス、元リトル・ミックスでバルバドスとジャマイカのルーツを持つリー・アン、ジョン・バティステと過去にコラボ経験のあるラナ・デル・レイまで。それぞれの収録曲ではゲストに合わせたサウンドが施されており、ジョン・ベリオン、ピート・ナッピ、テンロックといった売れっ子プロデューサーも大きく貢献している。




このように説明すると、『World Music Radio』がこれまでの作品とは別物みたいに思われそうだが、実際に聴いてみると『WE ARE』やジョン・バティステの歩みと地続きであることに気がつく。それにタイトル通り世界中のサウンドが鳴っているが、雑多という感じは決してない。

そもそも思い返せば、『WE ARE』や『Hollywood Africans』(2018年)にもいろんな要素が凝縮されていたし、ジョン・バティステはコンテンポラリージャズど真ん中の『Chronology Of A Dream』(2019年)のあと、コリー・ウォンとの共演作『Meditations』(2020年)で静謐なアンビエントを奏でるような人だ。彼はいつだってコンセプチュアルで情報量が多く、一点に留まらないマルチな才能を発揮してきた。

言い換えれば、どれだけコンセプトが移ろっても揺らぐことのない哲学が、きっと本人のなかにあるのだろう。昨年の第64回グラミー賞授賞式で披露された「FREEDOM」のパフォーマンスで、彼は多様性を肯定するメッセージを全世界に発信していた。自身の音楽を「ソーシャル・ミュージック」と位置付け、ステイ・ヒューマンというバンドを率いて街中を練り歩きながら、音楽を通じて人と人を繋ぐコミュニケーションを実践してきたジョン・バティステの思想は、本作で更新されようとしているワールドミュージック観ともシンクロし、不思議な統一感を生み出している。

10月6日(金)の単独公演、7日(土)・8日の「Coke STUDIO SUPERPOP JAPAN 2023」で初来日する彼とのインタビューでは、彼のなかで柱となっているアーティストとしての哲学や、音楽的志向の核について聞き出すことに。Zoom越しに現れたジョン・バティステは完全に陽キャのノリで、凄まじいテンションの語り口に圧倒されてしまったが、その内容は恐ろしく明晰で、天性のスターであることを改めて思い知らされた。

さらに記事後半では、『World Music Radio』に参加している二人の気鋭ジャズ・ミュージシャン、カッサ・オーバーオールとブラクストン・クックも本作にまつわるインタビューに応じてくれた。ジョン・バティステを深く知るための大型特集となったので、ぜひとも最後のページまで楽しんでほしい。




―『World Music Radio』というアルバムのコンセプトについて聞かせてください。

ジョン・バティステ(以下、JB):これはコンセプト・アルバムであり、ポップ・アルバム。その二つが一つになったアルバムなんだ。舞台となるのは宇宙のインターステラー(星間)領域。ビリー・ボブ・ボー・ボブというキャラクターに導かれ、アルバムを進んでいくことになる。彼は僕の分身で、何千年も宇宙を旅をしながら「World Music Radio」と名付けられたラジオ局で流すのにふさわしい、様々なものが組み合わさった周波数を探してきた……というのが、このアルバムで語り手が紡ぐストーリーなんだ。そこにはワールドミュージックという言葉の定義を見直し、再考察し、ポピュラーミュージックの裾野を広げるために使おうじゃないかという思いを込めている。

―「ワールドミュージックという言葉の再定義」について、もう少し詳しく教えてください。植民地主義のイメージがあるとして、最近はグラミー賞などでも「World Music」という言葉は使われなくなりましたよね。

JB:そうなんだよ! ここ10年、いや、もうちょっと前からかな……その時代のポピュラーミュージックと呼ばれる音楽を聴いて明らかなのは、世界の様々な地域から生まれているということ。ところが、そういう地域のアーティストたちは、ワールドミュージックという世界の片隅のジャンルに追いやられてしまう。つまり、ヨーロッパとアメリカ以外は、すべてワールドミュージックにひとまとめ。これは大いに間違ってる。酷い話だよ。家父長主義であり、植民地主義。いまや最も人気のあるポピュラーミュージックを故意に過小評価しているんだ。そんな状況を目の当たりにしたのは非常に興味深いことでもあった。これまでも僕はワールドミュージックというのは悪しき言葉だと思っていたよ。でも皮肉なことに、ポピュラーミュージックは日に日に、ワールドミュージックにインスパイアされてきてるんだから!(笑)




―あなたは以前から自分の音楽を 「ソーシャル・ミュージック」と呼んでいました。この言葉は『World Music Radio』にも繋がっている気がします。改めて、このソーシャル・ミュージックという言葉にどんな意味を込めていたのか教えてもらえますか?

JB:もちろん。ソーシャル・ミュージックという言葉を僕が作ったことと、なぜ『World Music Radio』が生まれたのか、その二つは大いに関係がある。ソーシャル・ミュージックは僕の音楽、音楽へのアプローチ、そしてパフォーマンスにおける哲学だ。世界中のあらゆる文化において、音楽が“娯楽のためのもの”になる以前は、ある目的を持っていたとされている。その目的は、様々なコミュニティの中で様々な形で現れたわけだけど、どの世代の人々にも共通していた。つまり、音楽は昔から常に、そのコミュニティの一員となるために、そして年長者から下の世代へと人間の知恵を受け継ぐための手段として使われてきたんだ。儀式、精神的修行、ドラムサークルといった集団での音楽演奏。どれも形は違えど、音楽を通じて人と人が繋がるためのものだ。

で、ソーシャル・ミュージックはというと、様々な文化的背景や系譜を、この21世紀に、一つにしようってことさ。そこから生まれる音楽はどんな音がするだろう? それをどう実現すればいい? これまで結ばれないまま散在していた点と点を結ぶ、その方法は無限大にあると思う。さらには素晴らしい様々な音楽の系譜に敬意を払いつつ、コンテンポラリーな世界のサウンドとリズムと音の質感を混ぜ合わせる。それがソーシャル・ミュージックだ。それはヒューマニズム(人間主義)とアクティビズム(行動主義)の要素、すなわちパフォーマンスとライブ体験と結びついている。非常にカウンターカルチャー的で、パンク。そんなにポピュラー・ミュージック的だとは思われていなかった僕が、ここまで一般的になれたのは凄いことだと思うよ。『World Music Radio』は僕がポピュラー音楽のカルチャーに促されて作った唯一のアルバムさ。すなわち『World Music Radio』はソーシャル・ミュージックのポップ・バージョンなんだよ(笑)。



―あなたの地元ルイジアナは音楽が豊かな場所でもあります。ニューオーリンズではアフリカ由来のもの、ヨーロッパ由来のもの、カリブ海由来のものが影響を与え合っていました。イギリスだけでなく、フランスやスペインの影響もあったし、ネイティヴ・アメリカンの影響も、独自のクレオールの文化もありますよね。そんな土地で育ち、ニューオーリンズ由来の音楽にも親しんできたあなたには元々、ソーシャル・ミュージックや『World Music Radio』的な哲学が育まれていたのではないかと思うのですが、いかがですか?

JB:僕もそう思うよ。全ての物事にはそうなるべくして起こる理由があると思う。僕は非常に深く豊かな音楽的伝統の中に生まれた。父方のバティステ・ファミリーはニューオーリンズ最大の音楽一家のひとつだ。他にもそういう音楽一家がいくつも存在し、まるでトライブ(部族)のようなんだ(笑)。ニューオーリンズは世界でもわずかしかない、アメリカでは唯一の、ソーシャル・ミュージックのメッカだ。いくつもの系譜が世代を越え、共存し、融合したならどうなるか、その生きた手本を示しているよ。他にないユニークで、ジャンルに捉われない音楽がそこにはある。アメリカのどの南部の州とも、北部の州の街とも違う、独自のブレンドがある街なんだ。そんな土地に自分が生まれたというのは運命だとしか言えないね。

Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

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