50年前の未解決事件、音楽フェス目指しヒッチハイクの旅に出た高校生は今どこへ? 米

失踪する3か月前の1973年4月、とある16歳のバースデーパーティでのミッチェル・ウィーザーさんとボニー・ビクウィットさん

1973年7月27日の朝、ロック史上最大級のフェスを見に、ブルックリンの2人の若者がニューヨーク州内陸を目指して出発した。

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それきり2人の姿を見た者はいない。

本当に?

ミッチェル・ウィーザーさん(当時16歳)とボニー・ビクウィットさん(当時15歳)が姿を消して、先月でちょうど50年目になる。才能ある2人の高校生は、全米でもっとも古い行方不明者だ。

当初は恋の逃避行だからすぐに戻ってくるだろうと思われていたが、2人の運命は今も謎に包まれている。警察の不手際や誤った手がかりが数十年続いた後、捜査官は2人の身に起きたであろう様々な説を追跡している。最近になって失踪に関与した可能性のある容疑者の情報が浮上する中、ミッチェルさんとボニーさんの家族や友人は、全米最古の未解決事件の解決に必要な情報を開示するよう、連邦および州当局に要請している。

「弟と恋人のボニーに何があったのか、解明に必要なのは特別捜査班です」。この半世紀、弟ミッチェルさんの行方を捜してきた姉のスーザン・ウィーザー・リーブゴットさんは、ローリングストーン誌にこう語った。「正直なところ、それが事件を解く唯一の方法です」。

「家族や友人に正義と多少の平穏をもたらす最後のチャンスかもしれないんです」と、ミッチェルさんの幼馴染スチュアート・カルテンさんもこう続けた。

2人がキャッツキル山地で人気のウェルメット・キャンプ場を出発したのは明らかだ。キャンプ歴の長いボニーさんは、サマーキャンプに参加する子どもの保護者の手伝いとしてここで働いていた。ミッチェルさんはブルックリン在住で、地元の写真館で念願の仕事を手にしたばかりだった。7月26日木曜夜、ミッチェルさんはマンハッタンのポート・オーソリティ・バスターミナルからバスに乗り、2時間ほど先にあるサリバン郡ナロウズバーグのボニーさんが働くキャンプ場に向かった。

2人はヒッチハイクをしながら、北西150マイル先のワトキンズ・グレン・グランプリレース場で行われる屋外コンサート「サマージャム」を見にいく予定だった。グレイトフル・デッド、オールマン・ブラザーズ・バンド、ザ・バンドといったカウンターカルチャーの大御所が出演したコンサートは、今日までもっとも観客動員の多かった全米コンサートのひとつに挙げられる。

明くる金曜朝、2人の若者はキャンプ場で朝食を取り、ヒッチハイクでナロウズバーグに到着した。ジーンズのポケットにはたいした金もなかったため、その後2人は寝袋を小脇に抱え、「ワトキンズ・グレン」と書いた段ボールを掲げながら道路脇に立った。

サマージャムを目指して旅立ったファンの数は推定60万人。そのうちミッチェルさんとボニーさんだけが跡形もなく姿を消した。


1973年7月28日、ニューヨーク州ワトキンズ・グレンのグランプリレース場で行われたサマージャムに駆け付けた推定60万人の音楽ファン(AP)

失踪者捜索の専門家いわく、50年目という節目は世間――それもサマージャムの参加者――に当時の記憶を探ってもらい、ミッチェルさんとボニーさんの写真を見て新情報を思い起こす絶好のチャンスだという。「以前は誰も気に留めなかった記憶や新たな情報が呼び起こされるかもしれません」と、全米失踪・被搾取児童センターの行方不明児童部門を率いるリーミー・カン-ソーファー主任は言う。「それが事件解明の突破口になるかもしれません」。

「この事件は独特です」と言うのは、『The Vanished』というpodcastの創設者で、これまで400件近い失踪事件を報じてきた司会のマリッサ・ジョーンズ氏だ。「特大コンサートにあちこちから人々が集まる。ヒッチハイクする人もいる。確実な時系列を特定するのが難しいケースです――2人がコンサートにたどり着けたのか、どの時点でたどり着いたのかもわかりません。解明が難しいケースです」。

1973年に警察がすぐに動かなかったことが事をさらにややこしくしている。ニューヨーク州3つの郡の捜査官は当初、捜査してくれというミッチェルさんとボニーさんの両親を無視し、ヒッピー2人の駆け落ちだとして取り合わなかった。「まともな捜査は一切行われませんでした」と、ボニーさんの姉シェリル・ケイゲンさんも主張している。

1973年9月4日、ウィーザー家の友人でウォールストリートジャーナル紙の全国ニュースを担当する編集者マーティン・ホランダー氏が、当時のニューヨーク警察(NYPD)署長、ドナルド・コーリー氏に書簡を送った。ローリングストーン誌が入手した書簡には、警察の不手際の一例が記されている。NYPDは州全域の警察署にミッチェルさんの失踪を知らせるとミッチェルさんの父親に請け負ったが、実際には知らされず、結果としてサリバン郡では捜索すら行われなかった。

「貴重な時間が失われました」と書簡にはしたためられている。「その上、息子に関する通知が行われなかったとウィーザーさんが苦情を申し立てると、おたくの警察官から不当な扱いを受けました」。コーリー署長は書簡の内容を認め、「本署の上層部が捜査を開始し、引き続き捜査を進めていく」と述べた。

捜査が継続されることはなかった。「あれからずっとこんな調子です」と、ウィーザー・リーブゴットさんは語る。

1970年代初期のアメリカは、今とは全く違う時代だった。牛乳パックに失踪した子どもの写真が印刷されるようになる10年以上も前の事件だった。2人が失踪したのは、携帯電話が普及し、失踪者緊急速報「アンバーアラート」が導入される数十年も前だった。警察当局は、失踪した2人を見放した。

2人はまさに孤立無援だったのだ。

Akiko Kato

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