ワイズ・ブラッドが語る、地獄のような時代にノスタルジックな音楽を追求する理由


アバンギャルドとポストモダン

ー前回のインタビューで「ミュージシャンだった父のおかげで、XTCの音楽と出会えたことに感謝している。彼らがお気に入りだったなんて、父も本当に変わっていたなと思った」と話していました。やっぱりXTCというバンド、もしくはXTCを聞く人は変わり者なんでしょうか?

ナタリー:(笑)私の父はとてもニュー・ウェイヴに入れ込んでいた。70年代前半に高校を卒業して、10代後半を迎えるあたりでトーキング・ヘッズに出会ったのをきっかけにね。私はXTCのことを「カラフルで風変わりなバンド」だと認識していたからそう言ったんだと思う。母はもっとクラシックな人で、ジョニ・ミッチェルが大好きだった。

ーXTCは日本で根強い人気があるんですよ。

ナタリー:そうなんだ!

ーお気に入りの曲やアルバムは?

ナタリー:一番よく聴いているのは『English Settlement』で、収録曲でいうと「Runaways」と「Ball and Chain」。あと、「Green Man」(『Apple Venus Volume 1』収録)は後期の作品だけどすごく良い曲だと思った。



ー『English Settlement』はリズムの作りも凝ったアルバムですが、あなたが音楽を作るうえでリズムはどのくらい重視していますか。

ナタリー:私の音楽にとって、リズムはとてもシンプルなもの。信頼できるドラマーを見つけるか、ドラムマシンを使う。「Grapevine」(最新アルバム収録)みたいに、たまに複雑なリズムを思いつくこともあるけど、ドラマーの演奏を聴いてリズムを掴むことが多い。私は複雑さを意識していないし、あえて作ろうとしたこともない。

ーメロディ、リズムと話してもらったので、ハーモニーの哲学も教えてもらえますか。

ナタリー:合唱団に所属していたことがあるから、ハーモニーについてはベースのアイディアがあって。メロディやハーモニーは簡単に思い浮かぶの。私はクレイジーなコードを合わせるというよりは、ナチュラルに聴こえる音でありつつ、音楽の域を広げられるようなサウンドを作りたいと思っている。いかにも「これが自分がやりたかったサウンドだ!」って主張するような変わったメロディを作るのは簡単。ノーマルに聴こえるけど、コードはクレイジーなサウンド、それが私の目指すゴールね。


Photo by Masato Yokoyama


Photo by Masato Yokoyama

ー2006年にソロ活動を始める前後に、アバンギャルドなシーンで活躍していた時期があったそうですよね。その頃に体験した印象的なエピソードを聞かせてください。

ナタリー:ツアーがとても楽しかったことを覚えてる。小さなステージを渡り歩きながら交流するコミュニティがあったの。「一晩中レコードを聴くから泊まっていきなよ、良いバンドを教えてあげる」っていうように、みんなとの距離も近かった。パフォーマンスに関しても、何もかも自由。毎晩同じセットを30日間演奏する今の状況とは違って、毎晩違うセットにしてもよかった。小さなコミュニティゆえの自由と「古き良き価値観」みたいなものが良い交流をもたらしてくれた。今と当時ではバンドの関係性も違って、昔みたいに友達と一緒に過ごして、いつも新しい出会いがあるっていう感じではなくなったかな。

ー前衛的といえば、あなたも過去に在籍したジャッキー・オー・マザーファッカーが2000年代後半ごろに来日したとき、フォーキーかつ混沌とした即興演奏を延々続けていたのが印象的でした。あのバンドに参加したことでどんなことを学びましたか?

ナタリー:インプロビゼーションの魅力について学んだ。毎晩ステージ上で繰り広げられる即興のエネルギーに、一度きりの夜、どこに向かうかわからない状況で演奏するための精神面での強さ。彼らはとても刹那的な態度で取り組んでいて、これなら私にもできるかもしれないと思ったの。



ーあなたが出会ってきたなかで、もっともアバンギャルドなアーティストは?

ナタリー:Usurperっていうバンドがいるんだけど、コンタクトマイクに布巾みたいなものを被せて大きな音をさらに増幅させようとしていて、「一体、何してるんだろう……」って釘付けになったわ。あと、ラナ・デル・レイは完全にアバンギャルド。彼女はメインストリームのポップスターだけど、やりたいことを突き詰めて実験している。私は「ノイズミュージシャンかぶれ」なんかよりも、彼女はずっとラディカルだと思ってる。大事なことは、いかに自由であるか、挑戦する意欲があるか、どれだけ実験的であるかじゃないかな。



ラナ・デル・レイとワイズ・ブラッドの共演曲「For Free」

ーあなたはソングライターとしてジョニ・ミッチェルと比較されるほどの評価を確立していますが、その一方でアルバムを聴くと、斬新なサウンドを生み出すことへの野心も伝わってきます。今も自分のなかで実験精神を大切にしていると言えそうですか?

ナタリー:ええ、もちろん。それはレコーディングやプロダクションのスタイルによって違う形で生まれると思う。かつて、ジョニはスタジオであらゆる実験をしていて、とても革新的な存在だった。私たちの世代は、エレクトロニックミュージック、ポストモダニズムといった多くのことが起こったあとに、さらに新しい何かを追求する必要がある。ビョークを例に挙げると、X世代の彼女はそれをやってみせた。ミレニアル世代の私たちは今興味深い状況にいて、行き過ぎてしまった世の中においてノスタルジーをどう扱うか、その葛藤と戦っている。私はノスタルジーを意味のあるものに連れ戻したいと思っている。だって毎晩叫んで発狂しても、私たちの世代に連帯感をもたらすことはできないんだとわかったから。だから、この地獄のような場所で何か意味を探すために、私たちの世代は曲を作っていると思う。

ー今おっしゃってくれた音楽観は、今日の社会状況にもそのまま当てはまると思いますか?

ナタリー:残念なことだけど現在、私たちに希望のある選択肢は残されていない。だからといって、今を否定して過去に状況を戻そうとすることで問題が解決されるわけでもない。私は、過去と現在の中間地点を探すことが大切だと思っている。私自身、行き過ぎたポストモダンを望んていないし、親世代の生活を見て育ってきたからその頃に対する憧れもある。さらには、今からまったく新しい様式の社会にするのも無理があると思う。過去にすがるのでもなく、否定するのでもないバランスを見つけることが鍵になるんじゃないかな。「もう出産も、結婚も、独立した生活もやめて、みんな同じ方法で暮らそう」なんて言えないし、事実そんなことはできないと思う。環境問題の解決には繋がるかもしれないけどね。 

ーそうなると、この先に訪れる未来をポジティブに捉えるべきなのか、それともネガティブに捉えるべきなのか。

ナタリー:私は避けられない未来をポジティブやネガティブという視点で捉えないようにしている。世代ごとに考え方は変わって、それに応じて価値観も変化するわけで、重要なのは良し悪しではなく、物事にどう反応するか。私はそのことについて意識的でありたいと思っている。今の状況を受け入れて、その上で前向きに行動していきたい。「仕方ないから諦めて、バケーションでも行こう」って逃避したくはない。それから「世界を救うのは個人の責任」という資本主義の概念に対して懐疑的になること、現実問題として向き合う必要があるんじゃないかな。自己責任として考えて、自分を責めすぎないことが必要だと思う。

Translated by Ayako Takezawa, Natsumi Ueda

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