知らないうちに原子爆弾開発に関わっていた、若き女性たちの真実 米

オークリッジの住民は仕事のない時の余暇に事欠かなかった。時間に追われる仕事ゆえ、町は24時間稼働していた。スタッフの離職は作業を遅らせるため、マンハッタンプロジェクトでは可能な限り住民を満足させる充実したレクリエーションが用意された。スポーツチームや各種クラブ、ボーリング場が設けられ、ほぼ毎日ダンスパーティがあった。一部の人々にしてみれば、カフェテリアや宿舎や出会いの場があるオークリッジの生活は、想像していた大学生活のようだった。ケイティ・ストリックランドさんのような人にとっては、オークリッジの生活はまったく違った経験だった。


1945年のオークリッジ。町は1942年、マンハッタンプロジェクトのクリントン土木事業の一環で、人里離れた農地に陸軍工作部隊によって建設された(GALERIE BILDERWELT/GETTY IMAGES)

アラバマ州オーバーン出身の黒人女性ケイティさんは、夫のウィリーさんとオークリッジに移った。オーバーンで図書館の清掃員をしていた時よりも、2倍稼げるという触れ込みだった。黒人はオークリッジに子どもを連れていけないと言われたため、子どもたちは祖母に預けられた。ケイティさんも当時は知らなかったが、現地では夫と一緒に住むこともできなかった。黒人は男女に分かれて「仮兵舎」で生活した。ケイティさんは16フィート四方の部屋を3人の女性と共有した。ドアにカギはついていなかった。配偶者との面会は限られ、門限が設けられた。勤務時間外にはベッドの点検が――しばしば抜き打ちで――行われた。ケイティさんはこの部屋を「檻」と呼んでいた。ケイティさんは気体拡散を行うK-25工場で、設立当初から清掃員として勤務した。工場がいつ、どんな風に稼働しているのかは知らなかった。給料を受け取ると、ウィリーさんの分とまとめて小包にし、少しでも多くアラバマに律儀に仕送りした。

オークリッジの幹部の近くにいた人々ですら、詳細は知らされなかった。セリア・クレムスキさんが勤務していたのは「丘の上の城」――オークリッジのみならず、マンハッタンプロジェクト全体を統括していた本部棟だ。セリアさんはしばしば口述の書きおこしや、時には暗号解読を担当した。オフィス全体を取り仕切る将校の書きおこしをしたこともあった。将校の名前は知らされず、本人はただ「G.G.」と名乗った(後にセリアさんは、その男がマンハッタンプロジェクトの最高責任者レスリー・R・グローヴス少将だと知った。映画の中ではマット・デイモンが演じている)。同じ棟では、新聞や雑誌に目を通して検閲局の禁止用語をチェックする女性たちもいた。セリアさんは「知っていた」人々の近くにいたが、これほど大掛かりな計画の理由については検討もつかなかった。セリアさんの兄弟の1人はイタリアで、もう1人は太平洋で従軍していた。兄弟を帰国させるためにも、自分のやるべきことをやりたかったとセリアさんは語った。

Akiko Kato

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE