知らないうちに原子爆弾開発に関わっていた、若き女性たちの真実 米

数年前、私はテネシー州オークリッジを訪れ、第2次世界大戦中にオークリッジに住み込みで働いていた男女の追跡を始めた。世界を一変させた出来事を、彼らの視点や独自の経験からとらえたいと思ったのだ。最初に声をかけた時、私が興味を持っていることに誰もが目を丸くした。なぜ私の話を聞きたがるんです? 私は何も知らなかったんですよ、とみな口を揃えて応えた。だが話を聞いていくうちに、私は彼らの話に引き込まれ、彼らの冒険心に心を奪われていった。彼らは何も知らない土地に行き、ろくに説明もされなかった仕事を選んだ。戦争努力を支えるため、生計を立てるために、彼らは不安と秘密に立ち向かった。そうするうちに、彼らは歴史の流れを変える後押しをした。

数マイル先のクリントンで育ったトニ・ピーターズさんは、ネテシー州の赤土から街が一夜のうちに現れるのを高校の友人と見守っていた。それまで5万エーカー強の土地には結束の固いコミュニティがいくつか存在していたが、政府は収用権を行使して差し押さえ、更地にした。庭の木に立ち退き通知が張られたケースもあれば、役員が呼び鈴を鳴らしたケースもあった。いずれもメッセージは明白、即効退去だ。たった2週間の猶予しか与えられなかった者もいた。家財道具をまとめ、収穫時期を迎えたものをとにかく収穫し、代々受け継がれた土地で眠る愛する祖先の亡骸に別れを告げるのもままならなかった。

オークリッジは掘り起こされた遺体の残骸が散乱する地面から生まれた。靴、本、食器、フライパン、あてもなくさすらう家畜。かつてここに住人がいた形跡は、やがてほとんどなくなった。家を追われた人々の一部は、退去させられた元凶であるプロジェクトに従事した。1943年以前には存在しなかった町は、戦争が終わるころには8万人以上の住民と全米最大級のバス系統を有し、電力消費量はニューヨーク市をしのいでいた。だがその町が地図上に記されたのは終戦後しばらくしてからだった。

マンハッタンプロジェクトは秘密のベールに包まれていたが、その規模とスケールはどこから見ても明らかだった。ヘラクレス級の大規模な建設事業とそれに伴う雇用を見過ごすことは不可能で、絶えず周辺住民の興味をそそった。


デニース・キーナン著『Girls of Atomic City: The Untold Story of the Women Who Helped Win World War II(原題)』(ATRIA BOOKS)

「あらゆるものが運ばれていきましたが、運び出されるものはありませんでした」とトニさん。少なくともはた目にはそう見えた。工場や施設の建築だけでなく、そこで生活する従業員用にひとつの町を建設するのに十分な備品や機材が車両やトラックに積まれ、敷地内に到着した。だがあれほどの資材が警備されたフェンスの向こうに運ばれたわりには、最終製品が敷地から搬出されている様子はまるでなかった。戦車も、弾薬も、何もなし。オークリッジという町が大きくなるに従い、謎も膨らんでいった。

とはいえ、オークリッジから搬出されたたものもあった。地球上で自然生成される元素のうち、もっとも重い核分裂を起こす同位体ウラン235だ。膨大な資源とたゆまぬ努力の末に生まれた製品は非常に小さな容器に格納され、ごく普通の袋に入れた後、運搬人の手首に手錠で括りつけられ、電車や車でロスアラモスやニューメキシコといった砂漠の僻地に運ばれた(ワシントン州リッチランド郊外のハンフォードではプルトニウムが製造されていた)。

Akiko Kato

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