TAKUROが語る死生観、GLAYとして後世に残したい楽曲



田家:これは一時期、TAKUROさんが自分の曲の中で一番納得できた曲だってお話されていましたよね。

TAKURO:いま聞いても、いわゆるJ-ロック、ジャパニーズロックの要素が全部詰まってるような。それこそロスに引っ越しをして、いわゆるBTSを代表とするようなK-POPがロスでスタジアムでやるのを体感して。いまだスタジアムでのライブもできない日本のミュージシャンたちとの差みたいなもの。ある種、自分たちの罪として、この90年代のGLAYのJ-POPも思うところもありますよ。たまに日本に帰ってきて聴く今の流行っている音楽は、俺たちが先輩たちから受け取ったJ-ロック、J-POPの要素を正しく受けてくれて、そこで派生して、ますます世界との距離は開いていると感じます。低音の付け方一個にしてもね。それを長いことちょっと悲しく思っていたんですよ。やっぱり悔しいし。アジアの人たちが諸外国で活躍しているのを、日本ではいろいろ挑戦するけれどなかなか太刀打ちできないから。それをずっと考えてくと、これからは官民一体で業界と国がちゃんとを国策として輸出していく必要があるし、それはアニメだけじゃなくて日本のある意味独自のカルチャーとして。ただ、今流行ってる音楽を聞くと、本当にすくすくとJ-ロック、J-POPとして進化を遂げているのを感じる。これお寿司に近いんじゃないかなと。

田家:なるほど。

TAKURO: 80年代って世界でお寿司は食べられてなかったけど、海外に寿司職人が渡っていって地道な努力によって、ある時全世界で大ブレークするじゃないですか。だから俺はJ-POP、J-ロックがこのまま突き進んでいった方がいいと思って。変にK-POPに寄せず、今メインストリート行ってる人たちがまた一つのきっかけとなって、次の世代、その次の世代ってなったときに、どこにもない独自の音楽としてのJ-POP、J-ロックが世界で花開くんじゃないかという考えに近年変わってきましたね。

田家:お寿司みたいなもんだっていうのは、今のシティポップもその一つですよね。日本発の洋楽、日本でしか作れなかった洋楽なんだって。

TAKURO:先人たちの美味しいところも隠し味として入れているから親和性は高いじゃないですか? 「真夜中のドア~stay with me」とか竹内まりやさんの「プラスティック・ラヴ」とか。ああいう丹精込めて作った作品が、ときを超えて伝わっている。当時8歳ぐらいのうちの娘がスキー場で鼻歌で「stay with me」を歌ったとき、びっくりしたんです(笑)。それ俺が中学校ぐらいの曲だけど?って言ったら、TikTok経由でクラスで流行ってるって。ロスですよ。日本じゃないんだよ。当時の達郎さんはじめとするシティポップの人たちは、自分の憧れだ何だかんだを全部自分の解釈でやって、その時は当然諸外国には届かなかったけど、今こうやって届いている。これがきっかけもあったかな。だからよりJ-POP、J-ロックを愛しく思うし、信頼するし、自分たちもその中の一旦を担いだものとして今後作るアルバムもドPOPとドJロックで突き進んでいこうって決心もつきました。

田家: 「BE WITH YOU」がそういう突破口になるときが来るかもしれない。

TAKURO:僕らが生きている間かどうかは知らないけれど、丁寧に作った作品たちばかりなので。いつか後輩たちがどんどん畑を広げていった先に、90年代の音楽がまた聴かれるってことがあるかもしれないすね。

Rolling Stone Japan 編集部

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