斉藤壮馬が語る、アーティスト活動で得た「感覚的アプローチ」

―毎作、音楽性の幅広さや引き出しの広さに驚かされるんですが、枯渇する感覚はないのでしょうか?

斉藤:ありますね。楽曲を作っていくうちに、やはり自分の癖が明確に見えてくるので、それをあえて使っている部分もありますし、「これは前作った曲に近すぎるから違う表情を見せてもらおう」みたいなことを考えていったり。弾き語りでデモを作っていたところから、DTMの知識を身につけて、ワンコーラスだけ作って、それがフルサイズを作るに足る資質がある楽曲なのかを検討してからフルサイズを作るようになったんですが、それに対してちょっと小賢しいテクニックを覚えてしまっている気がしたんです。今回いろんな作り方をしましたが、「何でこういう展開になるのかわからないけど、そうなったので歌詞をつけてみよう」という風に、感性で突き進むような作り方をしてみました。例えば「SPACE TRIP」は、シンセとかは足してもらったんですが、ほぼデモの通りで。DTMでドラムとベースの打ち込みの練習をしようと思って、いろいろ試していた時にワンコーラスの展開がふとできて、「これは宇宙の曲なんだ」と思って、そのままフルサイズのデモがするっとできました。やっぱりそれぞれの作り方に良い点があるなと思いました。前作の隠しトラックの「クドリャフカ」はプログラミングも全部自分でやったんですが、まだキーボード的な発想で曲を作ったことがそれほどないので、今度試してみたいなと思っています。

―まだまだやれることはたくさんあると思いますし、お話を聞いていると、貪欲にいろんなことに挑戦しようとされてるんだなと。

斉藤:そうですね。でも、「挑戦しよう」っていうような気概があるわけではないかもしれないです。単に好きなことで楽しいからという。僕はお芝居に対してもそうなんですが、やっぱりうまくいかなくて立ち止まってしまうこともありますよね。あるいはうまくいっていると思い込み過ぎてしまうこともあります。そういう時に、好きな漫画の言葉で、「どうしたらなれるかではなくて、なぜなりたかったのかを考えなさい」というような言葉があって。下手とか上手いとか、こういうテクニックがあるとか、こういう曲が作れるとかではなく、なぜ自分は芝居をやりたいのか、なぜ曲を書きたいのかということを自分に問うてみると、「シンプルに好きだから」っていうことでしかないなと思っています。でも、好きなことが頭の中にあっても、自分の知識や技術が足りなくて表現できないのはもどかしい。だから、できなかったことができるようになることが好きなのかもしれないです。自分で編曲もやったミニマルな感じの打ち込みオンリーのEPとかも作ってみたいですし、まだまだ色々と楽しいことがありそうだなという気がしています。

―声優のお仕事を精力的にやられている一方で、そうやって貪欲に音楽活動に取り組まれています。そのモチベーションはどのようなものなんでしょうか?

斉藤:芝居に出会う前、中学生ぐらいの時になりたかった職業が作家かミュージシャンでした。でも結果的に自分は声優の仕事に出会ってすごく救われましたし、人としていろいろな形で変わることができたと思っています。それを続けていたら、音楽や書き物の仕事をさせてもらえるようになりました。だから自分にとってはご褒美といいますか、そんな感覚です。ただ、ありがたいなと思うと同時に、自分の軸はやはり声の芝居。色々なことに手を出して、本職である声の芝居が疎かになっては本末転倒だと思うので、そこは見失うことなく続けられたらいいなと思っています。

―今のところ、この多面的な活動に対して良いペースでできているという感じなのでしょうか?

斉藤:素直に言いますと、声優事務所に所属しているので、スケジュールの順序的には当然声優業が最優先なんです。でも音楽もやりたいし、文筆もやりたい。じゃあ全部をやるにはどうするかというと、休みを潰すしかないんですよね(笑)。創作活動や表現活動は僕にとってはなくてはならないものなんですが、一方で日々の生活におけるいろんなものをインプットする時間もとても大事ですよね。来年以降はもう少しバランスをうまく調整できるようにはしたいなと思ってます。だから、今回のEPの次のリリースは全然決まっていないんですけど、先にスケジュールを決めて動き出すというよりは、「これを今世に出したい」と思う曲が生まれるまでしばらく待ってみるのも一つの方法なのかなという気はしています。自分がやりたいことをやらせていただいているので、心身の健康を大事にしながらやっていきたいなと思いますね。

Rolling Stone Japan編集部

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