ラーキン・ポーが語るサザン・ロックの革新、過去の名曲をカバーしながら学んだこと

 
『ブラッド・ハーモニー』について、テネシーとジョージアで育った影響

―次に『ブラッド・ハーモニー』の話に移りますが、着手した時から具体的なアイデアがあったんですか?

レベッカ:ええ。アルバムについてふたりで熱く語り合っているうちに、ゴールがどんどんクリアに見えてきました。クリエイティブな仕事に就いている人たちは、過去にしがみついていてはいけない。手放して、別の場所に移らなければならない。だからこれらの曲を書く上で、自分たちのサザン・ルーツをより深く掘り下げて、歌詞で積極的に主張したかったんです。それから、姉妹や家族のコネクションも。楽観主義とポジティビティを伝えることも意識しました。このアルバムで喜びを表現したかったんです。

メーガン:もっとオーセンティックになりたいという気持ちが、このアルバムを作る上で、大きなインスピレーション源になったと思います。アルバムを作るたびに、ありのままの自分たちに近付きたい。リアルな自分たちを表現したい。そしてあれこれ加工しない、素の自分たちの音をアルバムに刻みたかったんです。それって実はすごく難しいことで、つい細かいことにこだわって、なんでも完璧にしたいと思ってしまう。スタジオではそれが可能ですからね。望めば、パーフェクトなロボットになれます。そういう気持ちに抵抗して、リアルにしたかったんです。結果的には、過去のどのアルバムよりもライブの時の私たちに近い作品が完成したと思います。



―確かにそうですね。音に無駄がないですし、生々しいですし。ホームスタジオを使ったのもそういう理由からなんですか?

レベッカ:そうですね。過去に外部のスタジオを借りたり、外部のプロデューサーと組んだこともあって、ひと通り色んな体験をしてきました。で、今回はプレッシャーを取り除き、自分たちをさらけ出せる場所に身を置いて、アルバムを作りたかった。時計をチラチラ見て時間を気にしたりせずに、様々なアイデアを試す余裕を自分たちに与えたんです。曲によってはなかなか形が定まらなくて、苦労しました。6つくらい異なるバージョンを試したこともあります。そうやって、曲が必要とする時間をかけられるだけの忍耐力とスペースがあったことが、アルバムの仕上がりに大きく影響しました。

―過去にもコラボした、レベッカのパートナーであるタイラー・ブライアントが今回は共同プロデューサーを務めています。どんな風に役割を分担したんですか?

レベッカ:彼はタイラー・ブライアント&ザ・シェイクダウンという独自のバンドを率いていて、何度かステージで共演したことがあります。彼を共同プロデューサーに起用することで、音質について客観的な意見を提供してもらいたかったんです。パンデミック中に、私とメーガンのクリエイティブな作業と、タイラーが自分のバンドで行なう音楽作りを踏まえて、彼は私たちの自宅の地下に素晴らしいスタジオを作り上げました。そして、今回新たに取り入れた試みについて、タイラーの洞察力を役立ててもらいました。これまでのアルバムでは、ドラムの音の大半はプログラミングだったんですが、初めてスタジオに生のドラムを持ち込んで、私たちのサウンドにプラスになる形で取り入れようと試みたんです。それを実現させる上で、タイラーは有益な助言をしてくれました。



―サザン・ルーツを歌詞で主張したかったという話が出ましたが、実際そういう曲が多くて、「ジョージア・オフ・マイ・マインド」が好例です。これはあなたたちがナッシュヴィルに拠点を移した時の気持ちを振り返っている曲なんですか?

レベッカ:実は10代の時にもナッシュヴィルに行きかけたことがあるんです。16歳か17歳の頃だったと思いますが。

メーガン:もしかしたら、もう少し若かったかも。

レベッカ:結局その時は断念したんですが、本当に行かなくて良かったと思っています。まだまだ自分たちが何者なのか見極める必要がありましたし、今から6年ほど前にいよいよナッシュヴィルに移り住んだ時には、機は熟していました。自分たちのゴールや優先事項は何なのか、自分たちらしさはどこにあるのか、より明確化されていました。そしてジョージア州からテネシー州に移り住んだわけですが、実は私たちはテネシー州で生まれたんです。だから非常に興味深い、ビタースウィートな体験になりました。故郷から離れるのと同時に、帰郷することを意味していて。この曲を演奏するのはとても楽しいんです。アルバムの中で一番好きな曲のひとつかもしれません。すごく誇りに感じています。



―テネシー州とジョージア州は隣り合っていて、どちらもざっくりと“南部”と括られていますが、ふたつの州は大きく異なるんでしょうか?

メーガン:大きな違いがあります。ジョージア州にはアトランタという大都市があり、大規模なヒップホップ/R&Bのシーンを擁していて、特に州の北部にはそれが大きな影響を及ぼしています。でもテネシー州はとにかくスウィートな場所なんですよね。緩やかな丘陵地帯が広がっていて。私たちは子供時代によくテネシー州東部のアパラチア山脈周辺を訪れていたので、テネシー州の田舎に行くと、すごくノスタルジアを喚起されます。音楽的にも然りで、ドリー・パートンもテネシー州東部の出身ですし、カントリー・ミュージックは間違いなくテネシー州のヴァイブに寄与しています。メンフィスのブルースや、エルヴィス・プレスリーの音楽もそうですね。

レベッカ:私たちの母と母方の家族はテネシー州東部の出身なので、出生地はふたりともテネシー州です。だから私たちは厳密には“ジョージア・ピーチ”(桃はジョージア州の名産品)ではなく“テネシー・ガールズなんです(笑)。

―自分たちについて、最もジョージア州出身者らしい部分というと?

メーガン:ジョージア州には、“私の桃が嫌いなら、木を揺らすのはやめて”という言い回しがあって、私は好きです。自分の立場を譲らないことを意味しているんですが、私たちの人生観に深く関わっていると思います(笑)。

レベッカ:自立心が非常に強いところもそうですね。それに、テネシー州とジョージア州両方で育ち、両方に家族がいることは、私たちが使うフレーズや話し方に大きな影響を与えていて、故郷から遠ざかるほどに、南部出身者特有ののんびりした語調が強まるんです。私がこの世で最も愛する言葉は“Y’all”(“You all=みんな”を意味する南部独特の口語)ですからね。これに勝る言葉はありません。(曲でいうと)「キック・ザ・ブルース」には南部特有の言い回しを意図的に多数盛り込んだので、参考にして頂ければと思います。

メーガン:「キック・ザ・ブルース」は私たちのライブに来てくれる人たちのことを歌っています。「もやもやした気持ちを蹴り飛ばして、思い切り楽しみましょう!」と。

―「ストライク・ゴールド」は自分たちの関係をテーマにしているのですか?

レベッカ:まさしく私たちのパートナーシップに関する曲です。先程“木を揺らすな”という言い回しに触れましたが、自分たちが許容できることの限度について断固とした立場をとり、それを守るということを歌っています。それはチームとしての私たちがこれまでも貫いてきたことで、そういう姿勢でいられるようにお互いを支えてきました。



―アルバムのタイトルにはどんな想いを込めたのでしょう?

レベッカ:表題曲が先に生まれました。私の手元には、色んなアイデアや歌詞の断片を書き留めたノートがあって、曲作りをする時にはインスピレーションを求めてそれを読み返しているんです。『ブラッド・ハーモニー』は以前から私が書きたかった曲なんですが、どうアプローチしていいのか分からなかった。で、私とメーガンは、ルース・オゼキの『あるときの物語(A Tale For The Time Being)』という素晴らしい小説を読んだんです。最初にメーガンが読んで「絶対読まなきゃ」と言うので私も読み、その後に母と姉にも送って、家族の女性全員が読みました。そしてこの小説をきっかけに4人の間で、時間の経過と、我々がそれをどう捉えるのかということについて、非常に興味深い対話が生まれました。

具体的には、曲を介して時間の経過をどう捉えるのか――ということに関する対話です。というのも、曲を楽しむという行為は人間特有の体験だと思うんです。その前に起きたことを記憶し、かつ、次に来るものを予感するというのは、アートを楽しむ上で非常に複雑な手法ですから。それを実践するには必ず、時間の経過と関わる必要がある。そんな意義深い会話をしたあとで、私はサビを書き上げてメーガンと母に送りました。恐らくこれまでで最も長い時間をかけて完成させた曲です。2カ月ほどかかったでしょうか。仕上がりにはすごく満足していますし、私たちの家族にとって非常に意味深い曲になりました。


 
 
 
 

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