The 1975のマシュー・ヒーリーが見つけた「希望」 アートの可能性とバンドの未来を語る

v.新しい形の「繋がり」

翌週にビデオ通話で話した時、マシュー・ヒーリーはまるで別人のようだった。先週と同じように、悲しみを体現したアート作品の真下にあるソファに腰掛けていた画面越しの彼は、穏やかで落ち着いていた。見張り役はおらず、自身の発言についてもそれほど慎重になっている様子はない。

前回の取材以来、彼は父親業とツアーの両立がどれくらい困難なのか考えているという。「24〜25歳の頃は、あらゆる行動が若者ならではのエネルギーに支えられてた。大人になったなんて思われたくないけど、以前の僕は何もかもに全力で取り組んでいるとは言えなかった」。彼は過去のツアーについてそう話す。「今の僕がやってることの全ては……この朝メシが物語ってるよな」。彼が持ち上げた白い皿には、魚の切り身が一切れあるだけだった。まるでピングーの食事だ。


▲Matty wears suit by Dior, vintage shirt by Raf Simons, vintage boots, Matty’s own(Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)

『Being Funny〜』のリリースが近づくなか、これまで以上にパーソナルで自身の脆さを曝け出した作品を世に出すことについて、彼はどう感じているのだろうか。鯖の切り身を食べながら、彼がギアをシフトさせたのがわかった。「いい気分さ! 文句なしにね! 僕はもう何も恐れちゃいないんだ」。口をモゴモゴさせるふりをしたかと思うと、彼はふと動きを止めた。「待てよ、なんで僕はこんなに強がってるんだ?」。それは筆者も気になった。実はあなたは恐れているのではないかと訊ねると、そんなふうに考えたことはなかったと彼は言う。今作にはこれまで以上に脆い内面が反映されているという見方に、筆者は一瞬確信が持てなくなった。

いや、その見方は間違っていない。浮気をしてセックスと愛に癒しを求めようとすることを歌った、2018年発表の無防備なアコースティックバラード「Be My Mistake」がその根拠だ。同曲は本作に収録されていてもおかしくないが、(収録作の)『Brief Inquiry〜』ではどこか浮いている印象だった。彼は同意した上で、その見方を好意的に受け止められるのは、同曲が自身の脆さではなく繋がりを感じさせるからだと話した。同曲のビデオのコメント欄には次のような投稿があるという。「曲そのものじゃなくて、浮気と愛と喪失について語るRedditのスレッドみたいになってるな」。「これこそ、僕ができる限り信仰深くあろうとしてる理由なんだよ」。彼はこのコメントと、アートを介して繋がろうとする人間の本能についてそう話す。「あらゆるものに愛が溢れかえっている。アルゴリズムとかTwitterとかくだらないあれこれに関係なく、愛の大きさと美しいものを再現したいという欲求の可能性は計り知れない。宇宙がやがて滅びるっていう真理を否定したくなるほどに」

Translated by Masaaki Yoshida

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE