岡本健一が語る、27年ぶりに始動させた伝説のロック・バンド

メンバーとの出会い

ー自分で自分の進む道を作ったようなものですね。

岡本健一 あと、よっちゃん(野村義男)がいて、ギターを教えてくれたのも大きかった。よっちゃんはめちゃめちゃ上手くて、「ヴァン・ヘイレンを弾いてくださいよ」って言うとすぐに弾いてくれるわけ。この人は天才だなと思って。そこでまたちょっとした劣等感も生まれて。俺は同じギターでも違う道を行こうってなって。リードギターは全部昭次にまかせよう、俺はバッキングだけで、あとは動き回ってりゃいいやと思って(笑)。あと、突っ立ってるギタリストになかなか惹かれなくて。やっぱりギターを弾くには腰が大事じゃないかと思って。バウハウスのダニエル・アッシュとかジョー・ペリーとかさ、カッコいいじゃん。ジョー・ペリーの音はめちゃめちゃ悪くて、もう一人のギターの方が上手いんだよ。でもギター・ソロでジョー・ペリーが出てくると何か盛り上がるんだよね。だから、グルーヴで攻めていこうとか、そういうのはあったよね。ただ、男闘呼組でアメリカに行くことになった時に、撮影用にスゴい広いところでアンプを用意したんだけど、そこで音を出したら異常に気持ちが良くて。やっぱりハードロックって、大地と太陽とあのアメリカのデカさがあって生まれるんだろうなっていうのがわかってしまったんだよね。あと、アメリカ人の身体のデカさ。歌番組でボン・ジョヴィとかと一緒になったりすると、めちゃめちゃ身体がデカいわけよ。レスポールが小っちゃく見えるっていうかさ。それで途中から違うなって感じてきて。そこからエコー&ザ・バニーメンの1stアルバムとか、ブリティッシュ系のちょっと暗い感じの方に行って、影響を受けるようになって。それにU2とかはスゴい社会派だったりするじゃん。そういう思想を持って音楽を作るってなってくると、だんだん路線が変わってくるよね。それで自分の好きなものだけやっていったのが、ADDICTの方につながっていくんだよね。

ー1991年に寺田倉庫でMotmと始めたCLUB ADDICTは、日本初の本格的なロック・パーティとなりましたが、このCLUB ADDICTはどのように始まったのですか?

岡本健一 ロスに行った時に、ロックが流れてるバーとかクラブがいっぱいあって。これって日本にないんじゃないの?と思って。でも日本でロックが流れるところって、RED SHOESとかROLLING STONEぐらいしかなかったから。でも、そういうのじゃなくて、大音量でロックが聴ける場所が欲しい、やっぱりポールダンスが欲しいんだよと思って。それをMotmに言ったら、「じゃあ俺たちでやればいいじゃん」ってなって。いい場所があるからって、寺田倉庫を借りるところから始まったんだよね。

Motm 俺は車を売って、ポールダンスのステージを作ったんだよね。ポールダンサーのいるパーティはCLUB ADDICTが日本初だと思うよ。

岡本健一 CLUB ADDICTにはDJがいて、ダンサーがいて、ライブもできて。別セクションでチルアウト・ルームもあったじゃない。川沿いの方で、全部ブルーのライトにして、ソファーも入れて。そこも大事だったんだよね。

ーCLUB ADDICTではセッションでライブもやりましたよね。ADDICT OF THE TRIP MINDSはそういうところから始まったんですか?

岡本健一 CLUB ADDICTで何度かセッションでライブをやったね。その前に、自分の中でけっこう曲がいっぱい集まってたんだよ。男闘呼組のボツ曲みたいなのがいっぱいあったから。絶対いいのになって思ったんだけど、ことごとく断られて。でも、確かに1コードだけじゃダメだよなと思って。それでMotmと知り合った時に、Motmの家の地下にはスタジオがあって、音が出せたんだよね。曲があるからちょっとやっていい?って言って。誰かにベースを弾いてもらって、俺がもう一人ギターを連れてきて、やってみたらけっこう良くて。そこから、CLUB ADDICTをやりつつ、アルバムを作るためのライブをやってこうよっていう感じになったんだよね。

Motm その前からいろんなミュージシャンを呼んでジャムもやったよね。TAIJI(ex. X JAPAN、LOUDNESS、D.T.R)も来たし、よっちゃんもうちの地下に来てた。

岡本健一 タッカン(LOUDNESSの高崎晃)も来てたね。「ベースがやめたから、タッカン、ベース弾いてくれない?」って言って。新曲を作るのにデモテープで弾いてもらったこともあったね。

ーベースに川上シゲが加入したいきさつは?

岡本健一 シゲさんを紹介してもらった時に、あの人、カルメン・マキ&OZで弾いてたし、今はプロデュースみたいなこともやってるから、若いベーシストを紹介してもらおうと思ったんだよね。それで、ライブ・ビデオとか、こんな曲をやってるんですっていうのを見せたら、「俺がやりたい」って言われて。初めてシゲさんの音を聴いた時はちょっと衝撃だったよね。しかもMotmの家のスタジオでさ、大音量であのベースを聴いた時に、俺らの曲ってこんなにも変わるの?!ってなって。そこからより自由度が増していったよね。

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