横浜の"ロック"ステーションTVKが音楽シーンに残した功績、兼田達矢と語る



田家:「ファイティング80’s」の最多出演者が何組かいたんだなと出演者リストを見て思ったのですが、ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドからソロになった宇崎竜童さんダントツで、その後に佐野元春さんとRCサクセションが並びますね。やっぱり縁があった?

兼田:そうですね。「ファイティング80’s」を始めるときに住友さんが宇崎さんと話したことの1つは日本のロックシーンをこの番組から作るんだという想いで、その中心になっていくダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドはもちろんそうなんだけど、RCと佐野元春なんだということを思ってらしたんだと。同時に、これは住友さんがはっきりおっしゃっていたんですけども、宇崎さんは自分のバンドにファイティングって名前を入れるくらい過激な、よりロック色の強いものをやっていくんだという気持ちが強かった。番組制作者としてあまりにそういう方向に行ってしまうと間口が狭いというか、とっつきにくい番組になるだろうから、ある種もうちょっとポップな色合いが番組に入った方がいいだろうと。そのポップな色合いを担う才能は、佐野元春だという判断もあったという話をされていました。

田家:佐野さんのアーリーヒストリーの中で必ず出てくる最初の定期的なライブは横浜のサンドイッチ屋さんだった。それはTVKと組んでいたんだなというのをあらためてこの本で思いました。

兼田:組んでいたというか、後押しをしていた形で、それこそ笑い話ですけど、サンドイッチ屋さんの2階が産婦人科で大きな音出しは困るからやめてくれって言われて番組が後押ししていたライブシリーズは1回中断になったみたいですね。

田家:佐野さんのインタビューも載っておりまして、TVKについてオルタナティヴ意識、自立意識があったと話をされていましたね。

兼田:オルタナティヴという言葉を出してらしたのはもちろん佐野さんからだったんですけど、自立意識というのはその前に佐野さんが野球の野茂投手について答えているインタビューで、野茂さんに自分の曲を捧げるとしたら「インディビジュアリスト」がいいと思うと。「インディビジュアリスト」って個人主義者みたいな訳を当てられることが多いけど、自分としては自立主義者という言葉を当てたいと。そういう意味で野茂さんにこの曲がふさわしいと思うんだみたいな記事を僕が読んでいて、そういう話がありましたよねって訊いたら、TVKも同じ意味で自立精神のある局だったと思うと話してくださいました。

田家:「ファイティング80’s」の出演者リストをずっと見ていたら、こんな人も出ていたんだと思ったのは沢田研二さん、浜田省吾さんという名前がありました。

兼田:浜田省吾さんは何年か前にアルバムを紙ジャケで出し直したときがあったじゃないですか。そのときに何かのアルバムの特典映像でTVKの映像がついていたことがあったんです。

田家:あったあった。1981年3月20日というのがあって、6月5日にも出ていました。

兼田:沢田研二さんも出てらして、それはかなり一生懸命探らないといけないですけど、今検索するとYouTubeで観れるみたいですね。

田家:このへんは住友さんがご自分で決めていたということになるんでしょうかね。

兼田:そうですね。

田家:「ファイティング80’s」は1983年3月27日に終了して、その後に「ライブトマト」という形で1986年11月6日に始まります。横浜そごう9階新都市センターホールという。1回目がHOUND DOGとRED WARRIORS。兼田さんが選ばれた4曲目、アンジーで「銀の腕時計」。

Rolling Stone Japan 編集部

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