カーカスが語るデスメタルの真髄、「リヴァプールの残虐王」が歩んだ35年の物語

衝撃デビューと進化の過程

10代のスティアーとオーウェンの友情から生まれたのがカーカスだった。1985年、同名のバンドを立ち上げるも、すぐに他のプロジェクトのために脱線した。1年後、二人はこのバンドを再始動させ、パンクバンド「エレクトロ・ヒッピーズ」で社会の弊害や食肉産業の悪行を激しく避難していたウォーカーを加入させた。トリオ編成となったバンドはDeathやリパルジョンなどのバンドからヒントを得たのだが、この2バンドは無慈悲なアグレッシブさとホラー映画譲りのイメージで、生まれたばかりのデスメタル・アンダーグラウンドの先鋒的な存在だった。初期の楽曲の歌詞を書いていたオーウェンは、血みどろのファンタシー系テーマがお気に入りだった。当初、政治に関心のあるウォーカーはオーウェンの方向性を訝しがっていたが、すぐにこの方向性を彼自身の中に取り入れる方法を見つけることになる。

「ライブをやっていた時、歌詞を書いた紙を見るうちにクスクス笑いだしてしまった。あまりにも不条理で、逆に面白すぎる、これは絶対に回避しなきゃダメなやつだと思ったのさ。もちろん、実際にそうしたよ」と、当時を思い出してウォーカーが述べる。

歌詞をもっと現実に近づけるために、ウォーカーは手近にあったソースに目を向けた。当時、看護師の研修中だった姉妹から借りた古い医学辞典がそれで、彼はその中から難解な専門用語を発掘したのだった(彼はSkype越しに「今、棚にあるその辞典を見ているけど、もうボロボロだし、水に濡れたせいで紙がシワになっている」と説明した)。そうして誕生した歌詞は、その時点までに書かれたどの歌詞と比較しても、最も冗漫で、最もグロテスクに飾り立てられた評伝だった。『Reek〜』収録の「Microwaved Uterogestation」は、“湿布の送風がお前の胎児の嚢を水素化する/凝固する出血と先天性のヘルニア”という一節から始まる。




カーカスの初期ラインナップ:左からビル・スティアー、ジェフ・ウォーカー、ケン・オーウェン(Courtesy of Earache)

これらの悪臭漂うテーマは、当時人気のあったナパーム・デスなどと一線を画する特徴をカーカスにもたらした。ちなみにナパーム・デスは政治寄りのメッセージを歌うバンドで、グラインドコアの分派であるカオティック・パンクメタルの生みの親とされており、80年代後期にはスティアーも2年間一緒に活動していた。カーカスが魅了したファンの中には、ガーディアン紙に『Reek〜』を1988年一番のお気に入りアルバムと語ったBBCの伝説的DJジョン・ピールや、1992年のロンドン公演でメンバーが自慢気にカーカスのTシャツを来ていたフェイス・ノー・モアがいた。そして、彼らが青写真を提示した『Reek〜』と、洗練しつつ悪臭はそのままの次作『Symphonies of Sickness』(邦題:『真・疫魔交響曲』、1989年)によって、彼らの音楽スタイルが徐々に一つのサブジャンルとして成長し、巨大化し、今でも人気の衰えない世界的なムーブメントであるゴアグラインドと呼ばれるようになったのである。




しかし、すぐに衝撃度の大きさよりも楽曲と歌詞の進化に軸足が移動した。続く『Necroticism』は、のちにアーチ・エネミーの創始者の一人となるマイケル・アモットとスティアーの驚異的なツインギターがフィーチャーされたアルバム2枚のうちの1枚。このアルバムで初期のサウンドの重要な要素が違和感なく統合された。スティアーの腹の底から出てくるような唸り声が、ウォーカーの敵意むき出しの耳障りな声を強調し、大胆で頭脳的なアレンジが施され、語呂合わせの早口言葉で構成されている。身元確認のためにバラバラ死体を元に戻す内容の曲は、その仕事を「人体ジグソー・パズル」(Corporal Jigsore Quandary)と命名している。そして、『Heartwork』とバンド解散後にリリースされた『Swansong』の2枚では、合理的でカーカスらしいサウンドを打ち出しつつ、ある種の究極の上品さすら孕んでいる。

「人というのは20代半ばになる頃には、若い頃の勢いが消えてしまう」とスティアー。デビュー盤『Reek〜』の獰猛な攻撃性は、メンバーが成長した90年代半ばには収まっていたことを思い出しながら「その頃になると世界に対してそれほど怒りを感じないんだと思う」と続けた。

Translated by Miki Nakayama

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