マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『Loveless』 ケヴィン・シールズが語る30年目の真実

フィードバックの実験

ー『Loveless』は1989年2月にロンドンのスタジオでレコーディングが開始されたということですが……。

ケヴィン:(さえぎって)あ、いや……2月の時点では『Loveless』に取り組んでいたわけではなくて。1月からレコーディングを始めたんだけど、その時作ろうとしていたのはアルバムではなくEPなんだ。で、要はそこでしくじった。4曲録ってミックスまでやったものの、自分たちとしても"失敗したな"と感じたセッションだった。続いて5月にも何かやろうとしたものの、それも失敗に終わった。結局、『Loveless』を録り始めたのは89年の9月なんだよ。その頃までにはレコーディングの環境面に於いて僕たちが抱えていた問題の数々は、解消して視界がクリアになっていた。それまでの僕らには明瞭さが欠けていたんだ。1月と5月に自分が作っていた曲も決して悪い内容ではなかったものの、とにかくあれは、『Loveless』のように焦点が絞れたものではなかった。あるいは、ソウル(魂)か何かが宿っていなかった、と言ってもいいかな。そんな状況が好転するのに1989年の夏までかかったんだよ。

ーそうだったんですね。レコーディングを始めた時点であなたの頭にアルバムの全体像やイメージ/青写真があったというよりも、むしろ直観的に作業を重ね試行錯誤を重ねながら“何か”を見つけ出していった、というのに近かったということですか。

ケヴィン:うん、そう。だから、その意味では僕たちも多くのバンドと同じようにやっていたんだよ。レコーディングを始めたのは9月から11月にかけてだったな。そこで20か22本くらいバッキング・トラックを録って。いや、20本だったかな?……たぶん21本だったはずだ。(独り言のようにつぶやく)たしか「Song 21」もあそこに入っていたし……いや、ということは23? それとも25?? 正確な数字は思い出せない。ともかく、そこからかなりスピーディに、そうだな、12月までには、アルバムがどんなものになるか、そしてそれ以外の何もかももはっきりしたんだ。というわけで、僕はそこで『Glider』EP(1990年4月発表)の仕上げに取りかかったんだよ。

要するに制作プロセスとしては、9月にアルバムのレコーディングを開始し、歌のとっかかりになるアイディアを20本かそれ以上クリエイトしたところで、EPの制作に本格的に集中し始めた、ということ。というのも、"なるほど、これらの楽曲はアルバム向けになりそうだ。そしてこれらはEP向けに作る曲だ"とわかったから。その1曲、「Soon」はアルバムにも収録されることになったけど、「Don’t Ask Why」は(1月および5月の)オリジナル・セッションからの曲だ。で、(アルバムの概要が掴めて)曲の振り分けの見当がついたし、"アルバムには入れないけれども、これらの曲でEPを作ろう"と思ったんだ。



ーなるほどね。

ケヴィン:『Glider』EPは、確か1990年の3月頃に完成させたはずだ。その作業を終えたところで1カ月間くらいツアーに出た。だから、その間はアルバムには一切取り組んでいなかった。ところがアルバム制作を再開した1990年の夏は僕たちが少々クレイジーになっていた時期で、3カ月ほどずっとフィードバックの実験に明け暮れてていたんだ。その成果が「To Here Knows When」に活かされたんだけどね。そこから『Loveless』に改めて数カ月取り組んだところで、今度は『Tremolo』EP(1991年2月発表)に集中することになった。レコーディング、ヴォーカル録り、ミックス等何もかも済ませてあのEPを発表し、そこからさらに6カ月後くらいに『Loveless』を完成させた、と。

Translated by Mariko Sakamoto

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