世界で最も有名な覆面DJ「マシュメロ」をブランド化させた敏腕マネージャー

10代の頃に出来上がったシャリジのマーケティング戦略

しかし、このとき、シャリジは念入りに戦略を立てたのだった。まず、複数の女友だちに10ドルから20ドル払って、彼女たちのMySpaceアカウントを借りた。彼女たちのフレンドリストをチェックして、男性全員に「バーのEDMナイトで会いましょう」というメッセージを送ったのである。あとで騙されたと苦情が来ると、彼はアカウント主のふりをして「あの夜は早く帰っちゃったの! お腹が痛くなっちゃって。でも今週また行くわよ!」と返信した。それが奏功したのか、3回目のEDMナイトから3000ドルを超えるようになった。そして、3000ドル以上をキープしたままで毎週木曜日にこのイベントを開催し、半年間休まず続けたのだ。

「俺のマーケティング戦略はあの頃に出来上がったものだよ」と、当時を思い出してシャリジが言った。

17歳のときに父親が他界したため、彼は妹と母親の面倒を見ざるを得なかった。そして、シャリジはビジネスで成功しなければならないと強いプレッシャーを感じるようになり、カリフォルニア大学リバーサイド校で金融学の学位を取って卒業した。その後、彼の友だちの一人で人気DJボルゴアが一緒にアーティストのマネージメントを始めようと提案してきた。そして、シャリジはボルゴアのマネージメント会社レッド・ライトの最年少マネージャーの一人となった。

シャリジの最初の大ブレイクが訪れたのは、エレクトロニック・アーティストのジョーズと契約した後だ。砂漠のフェスBurning Manの最中にシャリジの友だちはジョーズがサウンドクラウドに上げたトラックを聴いており、このときゴルフカートで動き回っていた人気DJディプロがたまたまこのシャリジの友だちに目を留めた。ディプロはすぐにジョーズを自分の傘下に引き入れ、シャリジは突然ロサンゼルスのワンベッドルーム・アパートメントに引っ越すに十分な金を得た。そしてレッド・ライトを辞めて、ザ・シャリジ・グループを開業した。シャリジによると、このグループは「100%社内オペレーション」で、物販からコンシューマー・パッケージングまですべてを社内でまかなっていると言う。ある日、彼と彼の友人は、名声というエゴイズムに夢中になれない顔なしDJを生み出すというアイデアを思い付いた。この友人が現在のマシュメロだ。

Translated by Miki Nakayama

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