ジョニ・ミッチェル、心に響く楽曲10選

「コヨーテ」(1977年)

1979年のアルバム『逃避行』のオープニング曲で、ミッチェルの音楽に新たに加わった要素を紹介している。それがジャズ・ミュージシャンのジャコ・パストリアスだ。ミッチェルがストラムするオープン・チューニングのギターの周りを、ジャコのフレットレス・ベースがバレリーナように爪先でクルクル回ったかと思うと、大胆にでんぐり返ししている(「彼のサウンドを支えられるだけの厚みを得るためにギターの音をダブリングした」と、のちにミッチェル自身が説明している)。「コヨーテ」には少々トリッキーでガタガタ言う長いバース(Bメロ)がある。主人公とはまったく違う生き方の女たらしの男との恋愛を歌っているようだ。彼女がこの曲をレコーディングする何年も前から、この曲はライブでの定番曲となっていて、1976年のザ・バンドのさよならコンサート『ラスト・ワルツ』でも披露していた。

「チェルシーの朝」(1969年)

1960年代後期のフォーク界を代表するシンガーソングライターへとミッチェルを押し上げた楽曲の一つがこれだ。「チェルシーの朝」はボヘミアン・ライフの幸福を描いたもので、曲を作ったミッチェルがレコーディングする前に、ジュディ・コリンズ、フェアポート・コンベンション、ジェニファー・ウォーンズなどの他のアーティストがすでに演奏していた。ミッチェルは「壁の虹」を繰り返し登場させるが、これは彼女が色ガラスと古いビルからもらってきたステンドグラスを使って、友だちと一緒に作ったモービルのことだ。ビル&ヒラリー・クリントン夫妻はこの曲から娘の名前をつけたし、チェルシー・マニングも性転換後の名前を決めるときにこの曲からインスパイアされたようだ。

「ヘルプ・ミー」(1974年)

ミッチェルの楽曲中シングルチャートで最高位を記録したのがこれだ。ポップチャートで第7位、イージーリスニングチャートで第1位となった「ヘルプ・ミー」は、ジャズ・フュージョン・グループのトム・スコット&ザ・L.A. エクスプレスと初めてレコーディングを行った曲で、1974年のアルバム『コート・アンド・スパーク』に収録されている。ダイレクトな歌詞(「私たちは愛することが大好きだ/でも自由ほどは好きじゃない」)と同じように、楽曲も直接的な響きだが、その音楽性はミッチェルのそれまで音楽標準と比べてもかなり複雑だ。「彼女が使ったハーモニクスの構造が本当にユニークだった。彼女は自己プロデュースが非常に上手だったんだ」と、ベーシストのマックス・ベネットが教えてくれた。L.A.エクスプレスはこのあとミッチェルのバック・バンドを務め、2枚組ライブ・アルバム『マイルズ・オブ・アイルズ』でも演奏を披露している。

「サークル・ゲーム」(1970年)

1966年にフォークシンガーのトム・ラッシュに提供するためにこの曲のデモテープを作ったとき、ミッチェルはこの曲が自分のベスト作品になるとは思っていなかった。しかし、ラッシュは「この先も大人になる子供がいなくならなければ、この曲は必ず必要とされるだろう」と彼女に言った。ラッシュはこの曲と同名のアルバムを1968年にリリースして大ヒットとなった(このアルバムにはミッチェルの曲がもう2曲収録されている)。ミッチェル自身がこの曲をレコーディングしたのは、1970年のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』だった。この曲は他のアーティストの注目を集めるようになった頃の楽曲で、イアン&シルヴィアバフィー・セイント・メリーもこの曲をレコーディングしており、彼らのバージョンも多くの人々の記憶に残っている。

Translated by Miki Nakayama

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