ブリング・ミー・ザ・ホライズン単独公演レポ 爆音の中で作り出した巨大な聖域

ステージ上で体現されたサウンドデザイン

『amo』のリリースに際してのオフィシャルインタビューで、オリヴァーは下記のように語っている。

「ロックには変化が少ない。ギターとドラムのサウンドが必ず入ってなければいけないとか、そんなのは今では新鮮じゃない。一方、ラップの方は毎日のように新しいアイコンが出てくるし、カルチャーになってる。音楽は常に新しいものが生まれて更新していくものなのに、ロックはちっとも進化していない。トラディショナルなものにしても、今までに聴いたことのないバージョンのものをやるべきだ。ヴォーカルのアプローチにしてもそうで、ヘヴィなところで叫ぶようなありきたりのことはもうしたくなかったし、音楽のテクスチャーに最も自然に融合するようなヴォーカルのアプローチを考えたんだ」

上述したサウンドデザインはまさにヒップホップ/トラップが隆盛して以降のものだし、エレクトロニックな要素やデジタライズされたビートを主役にした楽曲が同作で増加したことも、ロックバンドが果たすべきは定型を作ることではなくむしろ定型を突き破っていくことだと理解しているからこそだろう。そのサウンドの更新がまたしなやかな歌の変化を呼び、それぞれが音と音の目を合わせることで有機的な進化を果たしているという意味での生身感とバンド感も、強烈に感じられるライブになっていた。実際、ダンサブルなリズムとビートに重心を置いた「nihilist blues」のような楽曲でも、BPM以上の音の伝播スピードと、エレクトロニックな質感の中にも、音を放つ側のエモーションがずしりと乗っていることを実感する。あくまでロックバンドのまま、新しいリズムとビートとサウンドを食っていけるか。そのトライに対して、誰よりも彼ら自身が手応えを感じられているような、そんな確信めいたものと強烈な気合いが聴く側にも伝わってくるアクトだ。


Photo by Kazushi Toyota

もちろん「House of Wolves」、「Antivist」のようにモッシュパートを軸にしたメタルコア・ナンバーも披露されたが、爆音を叩きつけるというよりも、むしろ音のレンジの広さで人々を巻き込んでいく音の渦がそこにはあった。もしかしたら5年ぶりの単独公演に対する待望感も手伝ったのかもしれないが、なにしろオーディエンスが自分の祈りを天高く昇らせるように歌う、歌う。よくあるコール・アンド・レスポンスのような定型文ではなく、ただただ音に体ごと巻き込まれて声を発してしまうような。それだけの没入感を、目まぐるしく展開していくドープな映像、巨大な聖域を作り出すような音、そして何より曲に対して変幻自在に形を変えていく歌の熱量によって作り出す。圧倒的という他ないパフォーマンスが連打されていく。

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