ウッドストック50周年フェス、創設者が語る今夏開催の全貌

ウッドストック’99から20年を経て、ラングはやっとウッドストック’99を振り返り、問題点を検証できるようになった。「ブッキングを他人に任せるべきじゃなかった」と言い、今回は自分自身がほとんどの出演アーティストのブッキングをしていることを強調した。「あの時の水事情はあり得なかった。あの状況を見て、私はすぐに価格を下げるように尽力したが、誰も下げなかったんだ。だから給水車を何台か手配して、無料で水を提供した。あのフェスティバルを楽しく過ごした人がたくさんいたと思うけど、最後に発生した火災があのイベントのイメージとして固定してしまった。200人の子供たちが暴れまわり、トレーラーの冷却システムを爆破して、大惨事を引き起こしたんだよ」

ラングはさらに、ウッドストック’99は「MTVイベント」のようなものだったと言い、ウッドストック50はそれとは正反対のものになると主張した。そして「ウッドストック’99は社会的意義ゼロの単なる音楽イベントだった。大きなパーティーに過ぎなかった。今回のイベントではルーツに戻り、当初の意図に忠実になる。そして、今回はすべてをしっかりと管理する予定だ」と述べたのである。

そうは言うものの、イベント会場だけはオリジナルのニューヨーク州ベセルに戻ることを選択しなかった。当時農場だったその場所は、2006年に15,000席のコンサート会場に形を変えていた。この会場も、今年の夏に独自にウッドストック50周年記念のイベントを行う予定だが、この会場でウッドストックを行うことはそもそもラングたちの選択肢になかった。「彼らはオリジナル会場をよく管理しており、パフォーミングアート用の美しいパビリオンを建てた。しかし15,000席の会場で行うのはウッドストックじゃない」とラング。

彼らのニーズに最適の場所を見つけるのは困難だったらしい。ラングがこう説明してくれた。「私はどうしてもニューヨーク州で開催したかった。ありとあらゆる場所を探したよ。だって求めていたものは1000エーカーの清潔な土地で、アクセスもインフラもしっかりした場所だったから。正直に言うと、その条件に合う場所は見つからなかったし、実はワトキンス・グレン自体は数年前から名前が上がっていたけどレーストラックで開催することに食指が動かされなかった。でもとりあえず見てみることにした。ところが実際に見た瞬間、あそこが思い描いていた通りの完璧な場所だと確信したんだ。マックス(・ヤスガー)の農場を見つけた時を思い出したくらいだよ。

このフェスティバル会場で行われる大きなコンサートはこれが初めてではない。1973年にここで行われた1日だけのイベントに出演したのが、オールマン・ブラザーズ・バンド、グレイトフル・デッド、ザ・バンドで、当日会場に集まった観客が60万人だったと言われている。正確な数字は当時から論争の的ではあるが、その4年前に行われた最初のウッドストックの観客よりも確実に多くの観客が集まったことは間違いない。

Translated by Miki Nakayama

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