AC/DCブライアン・ジョンソンが語るマルコム・ヤング

AC/DC 1976 (Photo by Martyn Goddard/Corbis via Getty Images)


「マルコムはロックンロールに衝撃を与えたんだ。ロックンロールのケツを蹴り上げたんだよ」

ツアー中によくアンガス言ってたのは、「ブライアン、俺は毎日部屋でも練習してるんだよ、ソロのパートから何から何まで毎日だ。」って言うんだ。俺はビックリして「本当かよ。いつも自然に演奏できてると思ってたよ。」って言ったら「マルコムが後ろにいるからなんだよ。もし俺がミスした時はあいつがそこを拾ってきて俺よりも上手く弾いたりするからな、俺はその恐怖にいつも怯えてるんだよ」

80年代にいわゆるヘアー・バンド(グラム・メタル)の連中が出てくると、俺達は時代遅れになった。アトランティックのお偉いさん来て、当時出た俺達のニュー・アルバムをマルとアンガスのが座るテーブルに投げて来て「シングルがなければ意味がない」って言って来た事があったんだけど、マルは「俺達はシングルを出す為のバンドじゃない。コレが俺達のやり方だ」って言い切ったんだ。他の奴もスタイルを変えろとか、革ジャンを着ろとか、80年代半ばに流行った髪型にしろとか言って来たんだけど、黒いTシャツとジーパンを2枚づつしか持っていないマルコムこそが何をしてる時もクールに見えたんだ。

「仲間が隣にいるのに何もできないのがショックで、その場に倒れ込んで動くことができなかった。最低だったよ。」

“ブラック・アイス”のツアーでもマルコムの演奏は素晴らしかった。何曲かは練習が必要だった点を差し引いてもね。その時が痴呆症の始まりだったんだ。レントゲン検査をしても、一切目に見えない、沈黙の悪魔さ。ほんとうにタチが悪い病気だ。アルバムの制作期間の彼はまだ大丈夫で、素晴らしいリフを弾いていたんだけど、ツアーが始まってから症状が悪化したんだ。それでもツアーの最終日、マルコムの目に、1マイル離れていても見えるくらいの炎が燃えていたのを俺は絶対に忘れない。

マルコムが参加できなかった“ザ・ロック・オア・バスト”ツアーの頃には彼は介護が必要な状態で、治療法を探している状態だった。今から3年半前にマルコムは俺の友人の神経科医に会う為にフロリダに来たんだけど、もうその時は手遅れだったと思う。俺も2年前にオーストラリアで内耳の手術を2度受けたんだけどその時マルコムが隣の病棟に入院しているって聞いたんだ。だから医者にマルコムに会いたい旨を伝えたんだけど、マルコムの容態は悪く、心臓が弱くなってきて、ピースメーカー付けたばかりだから興奮させるような事はできないと言われたんだ。仲間が隣にいるのに何もできないのがショックで、その場に倒れ込んで動く事ができなかった。最低だったよ。タフな時間だった。今振り返ると会えなくてよかったのかもしれない、もし会っていたらもっと悲しくなっていたと思うんだ。

マルコムが今、皆の悲しみや哀悼の想いを知ったら、すごく感動してくれるはずだ。彼は自分のことを素晴らしい人間だとか思っていなかったからな。俺はチーム・スピリットを彼から学んだ。人間は1人では油がこびりついた機械の中の歯車の1つだけど、皆でそれを同時に動かすことができれば大きな事ができるんだ。彼はもうこの世にはいないけど、俺が困難にぶつかった時は「マルならこういう時どうしてたかな。」って考えるんだ。彼はいつも正しい道を歩んでたからね。


Translated by Hiroshi Takakura

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