フェニックス永久保存版インタビュー フランス最重要バンドが全アルバムを振り返る

 
5.『Bankrupt!』(2013年)


―『Bankrupt!』は前作で確立したフェニックスらしいサウンドを部分的には継承しつつも、より濃密で、複雑な構成を持った作品です。全体的によりアグレッシブになった印象もあります。この変化は何に起因するものだったのでしょうか?

トマ:これは、僕たちが大きなショーをやることになった部分が大きいと思う。大都市で20,000人の聴衆を前にアリーナで演奏したりしていたからね。その中の5,000人くらいは、僕たちの音楽のファンでもなんでもない人たちだったりする。興味本位で足を運んだ人たちもいれば、1曲くらいは聴いたことがあるという人たちも多かっただろう。そうなると、突然自分たちは本当の意味での“音楽”を演奏しているわけではなくて、楽しませてもらいたいという観衆に向けて演奏することになる。何の繋がりも感じられない人たちに向けてね。ニルヴァーナの曲に、そういうことを歌ったものがあるよ。歌詞の持つ本当の意味に耳を傾けていないし、自分たちの音楽と何の繋がりも感じていない。観衆との間に、誤解と溝が生じてしまうんだ。だから、このアルバムでほとんど不快と言えるようなサウンドや挑戦的なサウンドでどこまでやれるか、どこまで観衆を惹きつけられるのか、ってことを確認したかったんだと思う。

―なるほど。

トマ:僕たちはボブ・ディランやデヴィット・ボウイが大好きなんだけど、彼らの過去のショーを観た時、観衆に対して敵対的とも言えるような、音楽的に挑戦するようなアプローチを取っていたのを覚えているよ。そうすることで、アーティストとしての魂を守るというか、音楽との関係性を保とうというか、そんな風に感じられたんだ。アートというのは、時には受け入れられ難いものだから。良い芸術は一般ウケし過ぎてはいけないと思うんだ。商業的になり過ぎてしまったり、人気になり過ぎてしまうと、その脅威や意味合いを失ってしまうからね。このアルバムは、そうした意味でそっちの方向(不快と言えるようなサウンド)に進んでいったものなんだ。




―『Bankrupt!』がリリースされた2013年頃は、インディロックの求心力が落ち始めたタイミングです。フェニックスはこの年のコーチェラではヘッドライナーを務めましたが、それ以降、コーチェラもポップやラップのアーティストがヘッドライナーを務めることが多くなったのは象徴的です。こうした時代の変化はあなたたちの活動に何かしらの影響を与えることはありましたか?

トマ:そうだね。それに、DJも非常に大きな存在になったと思う。エレクトロニック界隈が躍進するのと共に、DJたちはポップミュージックやヒップホップ、ラップよりも時代を先取りするようになったと思うんだ。誰も歌わなくなり、誰も楽器を演奏しなくなり……もちろん、中には本当に素晴らしいサウンドもあるし、とてもコンセプチュアルなものもあるよ。そういうものは興味深いね。でも、オーストラリアのフェスティバルでプレイした時のことを覚えているんだけど、楽器を使って演奏していたバンドは僕たちだけだったんだ。他のみんなはUSBキーを持っているだけだった。それを目の当たりにして僕は、これは何かを変えなくちゃいけない、って思った。ある意味、音楽の死を意味していると感じたんだよね。これではただのエンターテインメントでしかない。それも、音楽や楽曲によるエンターテイメントでは決してないんだ。ダフト・パンクの『Random Access Memories』は再び人間に戻ろうとした作品だったよね。つまり、フラストレーションは世界規模のものだったんだ。

―ええ、わかります。

トマ:ダフト・パンクはピラミッド(型のステージセット。2006年のコーチェラや、その後のライブツアーAlive 2007で使用)の壮大なショーで、スクリーンなども駆使して音楽以上の壮大なものを創造しようとした。でも、それに追随した人たちは、スタイルにしろ音楽性にしろ、ダフト・パンクのレベルには達していなかったね。だから、それほど素晴らしいとは思わなかったけど(笑)。

―2010年代前半に、ダフト・パンクの影響を受けて出てきたEDMのアーティストたちのことですよね。

トマ:もちろん、そうしたトレンドの潮流の中で生きる術を学ばなければいけないことも確かだよ。それに、あくまでも相対的なものだから、ある国では(特定のトレンドが)成功を収めていても、他の国ではそうではなかったりする。そういう中で生きていく術というものを、僕たちは早い段階で学んでいたのかもね。最初にアメリカで『Wolfgang〜』が成功を収めた時には、他の国では僕たちは既に古い存在になっていた。世界的に見れば新しい存在だったけどね。そんなふうに多くの矛盾を抱えてはいたけど、それはアーティストとしての実験でもあったんだ。


2013年、レディング・フェス出演時の映像


6.『Ti Amo』(2017年)


―『Ti Amo』が制作されていた時期は、2015年のパリ同時多発テロ事件、2016年のブレグジットやトランプ大統領の誕生などがあり、現在に続く世界の分断が顕在化し始めたタイミングです。そんな時期に作られたこのアルバムは、イタロディスコを筆頭に、ブランコとクリスのルーツであるイタリアの音楽からの影響を取り入れたものでした。

トマ:このアルバムは、自分たちの子どもの頃の記憶に立ち返った作品だと思う。ブランコとクリスはイタリア人で、彼らが子どもの頃に聴いていた音楽がベースになっている。影響という点では新たな金脈を発見したような感覚だったよ。僕はイタリアの音楽はよく知らなかったから。コード使いも違うし、全然違う世界の音楽という感じなんだ。すごく新鮮だったし、インスピレーションの源をどこか他の場所に求めようという思いもあったよ。色々な出来事があってそれが気泡のように消えていったことで、このアルバムは僕たちの子ども時代を再現する、ちょっとしたコンセプトフィルムのような作品になったんだ。もちろん、このアルバムはそうした出来事を否定するものではないけど、バブルみたいなものだったと思っているからね。だから、このアルバムで自分たちのために小さな理想郷を築いたんだ。全ての曲、テーマ、コード、楽器の使い方、歌詞のすべてが僕にとってはとても心地の良い、癒しとも言える作品になっている。

―ええ。

トマ:だからこそ、このアルバムは今までで最も自分勝手な作品とも言えるだろうね。ニッチなアルバムだし、とても自分勝手で、自分たちの小さな世界観が詰まったものだったから、もしかしたら多くの人たちと繋がれるようなものではないかもしれないと思っていた。それでも、きっと繋がることが出来ると願っていたし、僕たちにはとにかくこういうアルバムを作る必要があったんだよ。




―イタリアにルーツを持たないあなたが、このアルバムの制作でイタリアの音楽に触れて感じた魅力を教えてください。

トマ:決してイタリアの音楽に限ったことではないけれど、自分たちが子どもの頃に聴いて育った音楽、囲まれていた音楽が呼び覚ましてくれる感情というものは、同じ音楽でなくとも、聴く人に似たような感情を抱かせてくれるんだ。イタリアには素晴らしいアーティストがたくさんいて、曲作りにおいてもまったく異なるスタイルを持っているけど、すぐに入り込むことが出来た。言ってみれば『Wolfgang〜』の時にモンテヴェルディなんかに入り込んだのと同じような感じだね。ただし、僕たちは時間軸で移動したのではなく、地理軸で移動したんだ。音楽をサンプリングする時、ランダムにやることが多いけど、このアルバムはそうしたランダムなやり方はあまりなかったね。それこそほとんど活動家みたいな感じで、例えばルーチョ・バッティスティみたいな音楽家を深掘りしていったよ。このアルバムの好きなところは、あるメンバーが誰かの曲を聴いていて、じゃあ僕も聴いてみよう、彼はこの曲を聴いている、じゃあ、今度はこれも聴いてみよう、という感じで世界観を掘り下げていったところだね。このアルバムは、バッティスティやフランコ・バッティアートのような確固たる個性的な世界観を持った人たちにインスパイアされているから、とても複雑な作りになっているんだ。


Translated by Yumi Hasegawa

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