小原綾斗が語る、傑作『(((ika)))』にまつわる表と裏、Tempalayというバンドの真実

小原綾斗(Photo by Mitsuru Nishimura)

一聴して、Tempalayというバンドの音楽表現としてひとつの極みを見た作品だと思った。まったく予期せぬ展開のなかでものすごく人間臭い異型を成すオルタナティブなサウンドプロダクション。白目をむきながら眼の前にあるリアルな感覚を見つめたその次の刹那、瞳孔を開きながらあちら側にある情景を想像するような感覚にさえ陥るサイケデリックな音像。そして、特定の宗教観に絡め取られない死生観や観念を言語化したリリックと、それを驚くほどポップに響かせてみせるノスタルジックな親しみにまみれたメロディ。正直、もしかしたら、これをラストアルバムのつもりで送り出そうとしているのではないかと思った。もっと言えば、どこか遺言めいているとさえ感じたところもある。本作の過剰なまでの刺激、おかしみ、愛らしさ、切なさの源泉はなんなのか。フロントマン、小原綾斗(Vo, Gt)はここまで歯に衣着せぬ語り口で、Tempalayというバンドと『(((ika)))』という傑作にまつわる生々しい表と裏を語ってくれた。

【写真を見る】Tempalay

─アルバムのインタビューってけっこう受けてるんですか?

いや、これと『MUSICA』くらいですね。それも3人のインタビューではなくて、俺ひとりで。まぁ、3人だとやりづらいというのもあって。

─やりづらいというのは?

インタビューを通してメンバーの感想を聞いてもあまり意味がないというか。3年ぶりのアルバムなんですけど、『ゴーストアルバム』のときに死ぬほどインタビューを受けて、2人は俺がいるとしゃべれないこともあるだろうし。だったら、今日みたいに個別で受けたほうがいいなと。たとえば俺がこういう思いでこのアルバムを作ったということを共有しなくてもいいなと思って。これが得策だと思います。バンドを継続するうえでも。

─そう言っても、制作中はもちろんこう弾いてほしい、こう叩いてほしい、こう歌ってほしいというリクエストはするわけでしょ。

それはもちろんスタジオで一緒に作業するときはやりますけど。ただ、曲タイトルとか、歌詞とか、アートワークのコンセプトとか、そこにある思いとかは俺からは共有してないので。

─「ドライブ・マイ・イデア」(『SANDLAND THE SERIES』エンディングテーマ』)とか「預言者」とか、とか「Room California」とか「月見うどん」とかAAAMYYY(Syn, Cho)のボーカルが重要な役割を果たしている曲も多いじゃないですか。それも綾斗くんがボーカルディレクションするわけですよね?

そうですけど、でも、AAAMYYYはなんでもできちゃうので。逆に言えば俺から「これはこういう曲だから」って言って彼女のボーカルの芯が変わる子じゃないので。憑依型じゃないというか。「こういうニュアンスで」みたいなことは伝えるけど、基本的になんでもできちゃうので。そこは言うことないです。







─そこは信頼という言葉にも変換できますよね。

まぁ、そうですね。

─このアルバムを聴いて思ったのは、綾斗くんとしてTempalayの音楽表現を極めた手応えがかなりあるんじゃないかということで。前作から3年の間に「小原綾斗とフランチャイズオーナー」としても積極的な活動があったり、Tempalay以外の音楽表現における気づきがいろいろあったと思うんですけど。

ああ、はい。

─だからこそTempalayじゃないと形象化できない音楽表現の気づき──それはサイケデリックな音像やバンドグルーヴであり、そこに映えるリスナーの耳がどうしようもなくそのノスタルジアに惹かれてしまう歌メロのチャームであり──いろんな気づきやクリエイティビティの高まりがすごくあったと思うし、それがこのアルバムにダイレクトに反映されてるなって思ったんですよね。

うん。でも、どうなんですかね? 「そう言うこともできる」みたいな感じになっちゃいますね(笑)。

─というのは?(笑)。

三宅さんが言ってくれたようなことも言えると思うけど、自分としてはわかんないっすね。

─じゃあ綾斗くん個人のリアルな実感としてはどうなんですか?

リアルな実感としては、もっとよくなったと思います。

─それはアルバムの内容として?

僕の中ではうまく自分の狙いがメンバーに伝わってないなと思った部分もあって。何回もそのラリーの時間があったりして。僕もけっこう抽象的な物言いをしてしまうのでそういうことが起こるんですけど。そういうところも含めてコミュニケーション不足が出ちゃった感じはありますね。ミックスも13テイクくらいまでいっちゃったり。納期も延長しながら、本当のデッドの次の日とかまでやってそれでも納得できなかったので。まぁ、でもめちゃくちゃ向き合ったからこそ納得してないというところはあるかも。

─たしかにめちゃくちゃ向き合ったという感じがすごく伝わってくる、アルバムの端々から。

俺がそもそも体たらくなんで。ここまで音楽について考える、あきらめないという経験はあまりなかったんですよね。前までは納期のあれこれとか考えて、「これくらいでもカッコいいし、まぁいいか」というノリがあったと思うんですよ。でも、今回はあきらめたくなかったんで。だからより悔しい。「ちゃうなぁ、ちゃうなぁ」というのがずっとあったっすね。


Tempalay(Photo by Mitsuru Nishimura)

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE