MAZZELのTAKUTOが語る、身体で音楽を表現するリーダーの決意

TAKUTO(MAZZEL)

BMSG所属の8人組ダンス&ボーカルグループ・MAZZELのソロインタビュー連載、第2弾はTAKUTO。

「Maze=迷路」、「Zeal=情熱」、「Mazel=幸福」の意味を持つ「MAZZEL」のメンバーがグループに加入するまで、それぞれどんな人生の迷路を歩み、いかなる情熱を燃やしてきたかを探っていく連載企画。第一弾のRANに続いて今回は、最近MAZZELのリーダーに任命されたTAKUTOをインタビューした。

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TAKUTOは、自分の可能性を誰よりも信じ抜いている。ダンサーとして輝かしい実績を重ねていたTAKUTOが、歌唱経験がないにもかかわらずオーディション『MISSIONx2』に応募した決断はきっと周囲の人を驚かせたことだろう。普段多くは語らないが、TAKUTOはその熱い瞳で、常に今よりも輝かしい自分の姿をとらえてきた。そして今も、もっと魅力を爆発させた自分がTAKUTO自身にはすでに見えている。ダンスを始めてからリーダーとしてMAZZELを支えるまでの軌跡を辿り、TAKUTOの秘めたる情熱に触れさせてもらった。



―幼少期から振り返らせてください。何歳の頃からダンスをやられていたんですか?

ダンスを始めたのは8歳、小学3年生の時です。その頃僕はサッカー選手になりたくて、2つのサッカークラブに所属していました。ダンスを始めたきっかけは、もともと母親がヒップホップダンスを習っていて、「楽しいからあなたもやってみなさい」という感じでスクールに連れていかれたことです。そこでキッズクラスを何回か受けてみたら、気づいたらダンスで身体を動かすことがすごく楽しいと感じるようになっていて、「スタジオに入会したい」と母に言ってレッスンへ通うようになりました。

―ダンスを始めたタイミングでサッカーはやめたんですか?

やめました。サッカーは小1からやっていて好きだったんですけど、そこからダンス一筋になりました。

―MAZZELはメンバーそれぞれが異なるジャンルのダンスを習得しているからこそいろんな表現で魅せられるグループだと思うのですが、TAKUTOさんは、MAZZELに入るまでどういったジャンルを辿ってこられましたか?

習っていた時間の比率でいったらヒップホップのほうが多かったですが、小学生の頃からヒップホップとジャズをやってました。高校の時はブレイキン以外、バレエも含めて全ジャンルやってましたね。

―TAKUTOさん自身がブレイキン以外の全ジャンルを通ってきたことは相当MAZZELに活きてそうですね。

活きてるんじゃないかなと思います。僕のダンスは「見やすい」「癖がない」と言われることが多いですが、ジャズとかを習っていたから身体の綺麗なラインの見せ方ができるのかなと思います。

―キッズダンサー時代から、三浦大知さんに認められて共演までされてましたよね。小さい頃から自分はダンスが得意だという自覚、自信みたいなものはありました?

正直、そうでした。向いてるのかも、って早い段階で思ったのかもしれないです。



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―ダンサーとして挫折した経験とか、「もうやめようかな」と思った局面は、オーディション『MISSIONx2』までにありました?

ダンスをやめようかなと考えたことは今まで一度もなくて。自分にとってダンスはあることが当たり前という感覚でした。たとえ踊れなくなったとしても、何かしらの形でダンスとは付き合っていくものなんだろうなって、早い段階から思ってましたね。中学生くらいの時には「絶対ダンスをずっとやっていくんだろうな」と思っていた気がします。でも「どうしていこう」と悩む気持ちは、やっぱりありました。

―その想いがオーディションへの応募につながっていると思うんですけど、その話を詳しく聞く前にもう少しだけそれまでのライフストーリーについて聞かせてください。それだけダンスに熱中していると、学校ではどんな存在でした?

学校の子たちとはほとんど遊んでなくて。部活も入っていなかったに等しいですし。最初入ったんですけど、すぐにやめてしまったので。

―ちなみにそれは何部だったんですか?

環境科学部です。一番時間の融通が利きそうだなと思って(笑)。でもそれも続かず、学校が終わったらすぐにダンスレッスンへ行く毎日でした。地元の子たちとはあまり遊ばず、ダンススタジオの友達と遊ぶことのほうが多かったです。

―MAZZELに入る前は、ちゃんみなさん、Nissyさんなどいろんなアーティストのバックで踊られていましたよね。その中で特に思い出深い曲を挙げるとすると?

すべて思い出深いですが、今聞かれてパッと出てきたのは……平手友梨奈さんの「ダンスの理由」。ミュージックビデオの撮影が、今までのダンス人生の中で一番過酷な日でした。20人くらいのダンサーの絆がすごく深まったというか、みんなの気持ちがひとつになった感じが強くて。しかも曲が「ダンスの理由」で、ダンスについてもすごく考えました。今、1曲挙げるとするならばそれですね。



―それは、どういった過酷さだったんですか?

監督が、何回も何回も本気で踊らせたあとの、限界を超えた表情やダンスを撮りたいという希望のある方で。僕たちダンサーだけではなくて、アーティスト本人に対しても、キツいことをさせた上で限界の映像を撮るというやり方だったんです。立てないくらいの人が出てきてしまう中で、「よし、それでもいくぞ」って、最後みんなでフル尺を撮ったあとの達成感はあの日にしか味わえないものがありました。二度と経験したくないと思うくらいの過酷さで、でもやりがいもあり、印象に残った日でした。

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