ライター志田歩が語る、PANTA & HALが追求した頭脳警察とは違うアプローチ

あばよ東京 / 頭脳警察



志田:この日は彼のキャリアの中である種、フィニッシュに近いところに持っていきたいっていうのがあったんでしょうね。マネージャーの田原さんも話してたましたけど、曲順を聞いて今日はその日なんだって覚悟を。

田家:あ、そうなんですか。

志田:田原さんはメンバーに今日が最後になるかもしれない、と。

田家:メンバーには言ったんだ。

志田:みんなにちゃんと伝えてあったと。

田家:その話は来週メンバーから聞いてみようと思いますが、話をPANTA & HALに戻して1979年に『マラッカ』、1980年に『1980X』、スタジオ盤が2枚、そしてライブ盤『TKO NIGHT LIGHT』。これが出ていて、計3枚。『TKO NIGHT LIGHT』、東京ですもんね。PANTAさんにとって東京というはどういうテーマだったと。

志田:そうですね。さっきも「あばよ東京」だし、PANTA & HALのことを東京ローカル・ロックンロール・バンド! ってステージで紹介してましたね。よく覚えてますよ。

田家:志田さんが選ばれた今日の5曲目ライブ・アルバム『TKO NIGHT LIGHT』から「フローライン」です。

フローライン / PANTA&HAL



田家:1980年2月に発売になったPANTA & HALのライブ・アルバム。志田さんが選ばれた今日の5曲目です。これを選ばれているのは?

志田:この曲は明らかに『クリスタルナハト』への流れをPANTAさんがすごく意識された上で作られた曲だと思います。

田家:ドイツ語ですもんね。オリジナル・アルバム2枚、ライブ・アルバム1枚で解散してしまって、解散については取材されていてどう思われましたか?

志田:PANTAさん自身はもうしょうがないよっていう言い方だったので。メンバーで集まって意見を求めた結果の妥協になっちゃうんだったら、もう解散した方がいいという。わりと潔いというか、あまり惜しくないみたいな感じでむしろメンバーの方がね。

田家:メンバーは青天の霹靂だったという。

志田:ええ?!みたいな。「それから引きこもりになりましたよ」みたいなことを原稿のインタビューで言っている方もいましたけど。

田家:けりをつけながら活動をしていたんですかね。

志田:慶一さんがたしかに原稿の中でも言った発言を覚えていますけど、PANTAがずっと同じ場所にはなかなかいないような気がしたしっておっしゃってますよね。あれはある意味『1980X』も作った後、違う形でPANTAのキャリアを続けるのではないかという予感があったんだと思いますね。

田家:何度か話に出ている『クリスタルナハト』というのは、1986年に出た『R☆E☆D』の翌年、1987年に出たアルバムなんですが、『マラッカ』と『R☆E☆D』と『クリスタルナハト』は「世界史三部作」みたいな形で言われたりしていますもんね。

志田:PANTAさんが言っている言葉で覚えているのは、『マラッカ』についてもうちょっと緻密にいろいろ調べた方がよかったんだけど、ロックンロールはこんな感じよみたいなわりと呑気ないい加減なところでやっちゃったことに対しての悔いがあるみたいなことをおっしゃっていて。『R☆E☆D』に関してはマラッカ海峡のことを舞台にした物語で作られた話なんですよね。架空の映画のサントラということですけど、架空の映画のものすごい長いシナリオというのがあって。

田家:80ページくらいあったと。

志田:だから、PANTAさんとしてはマラッカで現代史、もっとリアルに食い込みたかったというところを『R☆E☆D』によってやったという感じがありますね。それを作っていく中でどんどん『クリスタルナハト』に近づいていくという。

田家:『クリスタルナハト』は、さっきの「裸にされた街」の8年後の発売になるわけで、さっき志田さんがおっしゃった、70年代の日本についてこれはここまでだなというところから『クリスタルナハト』にたどり着くまでにそれだけの時間がかかっている。アルバム『クリスタルナハト』の中から志田さんが選ばれたのはこの曲です。「BLOCK25 1~AUSCHWITZ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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