コーシャス・クレイが語る、ジャズの冒険と感情を揺さぶるメロディが生み出す「深み」

 
ジャズを取り入れるのは「心を自由に解き放つこと」

—『KARPEH』のコンセプトを教えてください。

CC:僕の家族のカルチャー・アイデンティティを総括したようなアルバムを作りたかったんだ。『KARPEH』というのは僕の苗字。「カルペ」と発音するんだけど、家族の僕らも含め、誰もちゃんと発音してなくてね。元々は西アフリカの名前なんだ、リベリアのクル族という部族のね。僕の祖父母たちはアフリカからアメリカに移民として渡ってきた。彼らがアフリカン・アメリカンとして経験してきたこと、それが僕の世代でついにアメリカン・カルチャーの一部そのものになったこと、僕という人間が作り上げられたこと、30年の人生の中で僕が参照してきた多くの人やもの……その象徴が、まさしく僕の名前だと思ったんだよ。だって、名前は僕よりも前からあったわけだから。祖父母に起こったことは僕の両親に影響を与え、両親に起こったことは僕の人生の見方に影響を与えた。今、僕が年を取ることをどう考えるか、サイケデリック・ドラッグ(LSD)のことをどう考えるか、人との距離感についてどう考えるか……といったようなことすべてにね。そういうアルバムなんだ。



—音楽面でのコンセプトは?

CC:サウンド面は前作とは全然違うものになっているね。レコーディングは6日間、Figure 8 Recordingというスタジオでライブ録音したものを、自分のスタジオに持ち帰り、ミキシングした。過去の作品はコンピューターで作ったものだったから、その点では違っているよ。オーバーダブも少ししたけど、基本はライブ録音。そんなふうにプロセスが違うと全体の空気も違ってくる。僕からすると、僕の音楽の旅におけるジャズやインストルゥメンタルな音楽からの影響が、音楽的に表現されたものになったんじゃないかと思う。

—そもそも、なぜジャズにフォーカスしようと思ったのでしょうか?

CC:ジャズっていう呼び方自体、いろんな意味でおかしいなって思うんだけどね。僕にとってジャズはスピーチやコミュニケーションと同義語だ。だから何かにジャズっていうレッテルを与える時、それはその何かを自由に解き放つようなものだと僕は思っている。音楽にアプローチする上で、何の境界線もない、ということさ。フランク・シナトラにせよ、エリック・ドルフィーにせよ、どちらもジャズなのか? ああ、ジャズには違いない。でも同じじゃない……というように。だからジャズであることは、僕には音楽にアプローチするにあたって心を限定されるのではなく、自由に解き放つことを意味してる。


Photo by Meron Menghistab

—これまでは主にあなたがほとんどの楽器を演奏して、それを自分で編集して、ミックスしていたと思います。今回の『KARPEH』ではなぜバンド的な手法で制作したのでしょうか?

CC:僕はミュージシャンであるより、プロデューサーでいる方が楽だったりするんだ。たぶんプレイヤーに必要な思考よりも、プロデューサー的な思考の方が得意なんだと思う。もちろん自分でも演奏はするけど、音楽への深く正しい理解を持ってプレイしてくれるミュージシャンとコラボレートしたい。だから、この音楽にふさわしいプレイヤーを集めることが重要だったんだ。正しいサウンドを出すには、自分一人ではできるとは思えなかったから。

—そうやってバンドのように複数のミュージシャンが参加する前提であれば、おのずと作曲や編曲のやり方も変わってくるのではないですか?

CC:まさにそうなんだよ。だからテイクにテイクを重ねたんだ。何テイクも録ったよ。これでいいんだと確信できるものにしたかった。あと、僕に指示を出されるのを嫌がらない人とやりたかった。他人に指示を出されるのがダメっていう人もいるだろ? どれほど優れたプレイヤーだったとしても、たとえばマイルス・デイヴィスを僕のトランペット奏者として雇いたいか?ってこと(笑)。そのポジションに見合った人間を探さなきゃならないんだ。

—前半の「Fishtown」「Ohio」「The Tide Is My Witness」はあなたのシンガーソングライター、楽器奏者、プロデューサーとしての側面がすべて入っていて、これまでにリリースしてきた作品とも共通する部分がある曲だと感じます。これら前半のコンセプトや制作について聞かせてください。

CC:言ってしまえば、ナラティブ(出来事を伝えるストーリー)なんだ。特に「Fishtown」と「Ohio」で歌っているのは、オハイオで育ち、音楽をやるようになっていった頃の僕自身の話だ。「The Tide Is My Witness」は僕の母と僕の祖父、つまりは母と母の父親の関係……というか関係がなかったことについての曲。祖父は医者でリベリアに住んでいたので、母の幼少期に父親が不在だったんだ。そのことを象徴的に歌っている。その前の「Karpeh’s Don't Flinch」の最後に母が話しているパートがあって、そこから「The Tide Is My Witness」に繋がっていく。そこで母の言葉で、苗字がどこから来たかってことが語られる。全ては象徴なんだ。父娘の関係、Karpehという苗字がどこから来て、どういう意味があるか……でも僕自身は、そういう要素に関しては歌詞にしていない。むしろアルバムの音楽からほのめかされるようであってほしいんだ。



—『KARPEH』にはジャズ・ミュージシャンが数多く参加していますが、9曲に参加しているジュリアン・ラージは、とりわけ重要な役割を担っているように思います。普段はギターも弾くあなたが彼を起用し、「Another Half」「Repeat Myself」「Unfinished House」を競作しているわけですが、ジュリアン・ラージとの制作について聞かせてください。

CC:彼にアルバムに参加してもらえたのを本当に感謝してる。大好きなコンテンポラリー・ギタリストの一人だし、それ以上に人間的にも素晴らしい。僕が提案したアイデアを彼の家で実践する、という方法でやり始めたんだ。「Repeat Myself」は彼が思いついてリピートしたものから発展した曲、「Another Half」は僕が弾いたプレイを彼の解釈で弾いた曲……というように。「Blue Lips」も面白かったよ。君が挙げたなかには入ってなかったけど、あれは僕がアイデアを思いつき、彼に解釈してもらった。「Unfinished House」は僕がギターで大半を作った曲だった。というのも、歌詞が僕の父の育った家、祖父母の波乱に満ちた関係を歌った、いわゆるナラティブ重視の曲なんでね。彼に聴かせたら、素晴らしい解釈で弾いてくれたんだ。



—​​アルバム終盤の「Yesterday’s Price」ではイマニュエル・ウィルキンスとアンブローズ・アキンムシーレが大きな存在感を見せていますが、ジャズ・ミュージシャンというのはその場で思いついたアイデアを実行したり、不確定要素の多い存在だと思います。自分の作品でジャズ・ミュージシャンを起用して、彼らにそれなりの自由を与えることは、あなたの作品に何をもたらすのでしょうか?

CC:深み……かな。今の時代、実は深みってあまり音楽において一般的なものじゃないからね。僕はプレイやジャズの理論を何年間も真剣に勉強して、追求してきたわけじゃない。それを理解するだけのフレキシブルな思考はあると思うけど、そういう方向性を自ら追求はしてこなかった。アーティスティックな意味で。それでも、それを追求してきたミュージシャンたちには親近感を覚えるし、彼らに僕のことを信頼してもらいたいと思う。信頼してもらえれば、これまでとは違う新しくてフレッシュなものが作れる。もしかしたら、彼らには僕がサウンドに関して描いているような思考はないかもしれない。でも彼らにはタイムレスと呼べるほどの演奏能力がある。僕の描く想いを実行する能力がね。

実際、今回のコラボレーションはとても深くて、冒険を恐れない、そんなコラボレーションだった。とても楽しめたよ。収録曲のひとつ「Blue Lips」は最初、メロウでドリーミーなサウンドなんだけど、聴いていくと5分間のあいだで何度も変化を遂げ、最後はヘヴィでパンクになって終わる。それが1曲のなかで全部起こるんだ。最初の2分を聴いただけでは、メロウなジャズ・アルバムだと思われるかも知れない。そんなふうに、ビジョンを信頼してくれるミュージシャンたちとの仕事に制約なんか生まれないよ。

でもそんなアルバムって、1970年以降どれだけあるんだろうか?って思ってしまう。その手のアルバムに関して言うなら、70年代が黄金期だった。ウェザー・リポート、ジョン・アバークロンビー……わかるよね? 訳もわからないようなことをやっていた時代。僕はその要素もほしいし、同時にソングライティングの要素も大切にしたいんだ。






コーシャス・クレイ
『KARPEH』
発売中
再生・購入:https://Cautious-Clay.lnk.to/KarpehPR

Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

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