世界的インディレーベル社長が綴る、ジャズの巨匠ロイ・エアーズとの「父子の物語」

初対面

その日、父が泊まっているホテルへと向かう最後の曲がり角で、自分がまったく緊張していないことを悟った。息切れもしない。胃の調子もいい。お腹が空いていたほどだ。右手をハンドルから離し、目の前で握ってみて、震えているかどうか確認した。握った拳は石のように堅かった。

ロイが泊まるホテルの正面のドロップオフ・ループの下では、子どもたちの荷物を引きずった親たちがガラスの自動ドアを行き来し、出張でやってきたビジネス客たちはスターバックスのアイスコーヒーとブリーフケースを器用にバランスしながら携帯電話で喋っていた。お揃いの白い服を着た観光客の一団を群れを降ろしているバンの後ろに、私は車を停めた。

採用面接の前かステージに上がる前にするように、最後に大きく深呼吸をした。息を吐きながら、その深呼吸が必要のないものであることがわかった。ロビーに入ると、すぐに私に微笑みかけてくれている人物と目があった。それがロイであることは言うまでもない。私の父だ。私は笑顔を返し、彼の方へと歩いた。

「やあ、ロイ」

「ナビル、元気か?」。歓迎するような声だった。

私は親しげに笑い、頭を振った。自分の創造に一役買ってくれた人の手を握ることに、どう反応していいのかわからなかった。触ったこともないような手だった。ふたりはそれほど似てはいなかったが、見紛うことのない類似点にすぐ気がついた。高い頬骨、茶色の瞳、気さくで大きな笑顔。30年後の自分は、こんな感じなのだろうか。彼の握手には、力強さとエネルギーが満ちていた。

「写真撮る?」。 私が手に持っていることを忘れていたカメラに気づいて、ロイが言った。写真を撮れたらいいなとは思っていたが、なぜホテルに持ってきたのだろう。観光客のひとりにお願いしたら、写真を撮られるのが大好きな男ふたりのツーショットを手早く撮ってくれた。


ロイ・エアーズ、1990年前後に撮影(Photo by DAVID REDFERN/REDFERNS/GETTY IMAGES)

写真のなかのロイは、がっちりとした堅い体をしており、背は私より少しだけ低く、メガネを外したときの自分と同じ丸顔をしていた。彼も同じように眼鏡をかけたらいいのに、と思った。立ち止まってはいるが、小刻みにいつも動いているのが見て取れる。その場にいる全員を爆笑させたかのような面持ちで、口を少しばかり開けている。右手は携帯電話を胸元に握りしめ、親指を上げている。おそろいの明るい笑顔と、入れ替わったような目をもってしても、同じように後退した生え際を隠しだてすることはできない。70年代に彼のトレードマークだったもみあげはもうないが、私のもみあげは健在だ。彼の薄い口ひげは、宝石をちりばめたシルバーのネックレスとよくマッチしていた。

お気に入りの寿司屋が閉まっていたので、味が少し落ちる別の寿司屋へと車で向かったが、寿司を食べたいと言っていた彼ががっかりしないかが気がかりだった。

向かい合って座り、まずは基礎的なことをおさらいした。ロイは66歳。私は34歳。母は55歳。叔父のアランは53歳。私は大学を卒業した。物心ついたときからずっとドラムを叩いていて、今は「ロング・ウィンターズ」というバンドのメンバー。小さなレコード店チェーンの共同経営者で、小さなレコードレーベルも経営している。


ロング・ウィンターズが当時発表した3rdアルバム『Putting The Days To Bed』(2006年)

ロイは自分が渡したロング・ウィンターズのCDのクレジットを読み上げた。「そうだった」。彼は何気なく言った。「ルイーズから聞いたよ、名前をエアーズに変えたんだって?」。自分の改名が話題になるとは思わなかった。名字を変えたのはずいぶん前のことだ。誰もそのことを尋ねたりはしなかった。

「ブラウフマンは面倒くさい名前だったから、高校を卒業したときに変えたんだ。自分に縁のある名前にしたくて」。私は遠慮がちにそう言い、ロイの返事を待った。

「いいね」。CDに目を落としたまま、彼は眉をあげた。

「おれよりもはるかに若くしてこうなったな」。ロイはからかうように自分の禿げた頭を指差して言い、私たちは二人で大笑いした。笑いの瞬間は何度か訪れたが、その度に電撃が走った。それは、長い間遠く離れていながら常にその存在を感じていた人のなかに、自分のかけらをありありと見出した瞬間だった。

それから私は気兼ねなく大事なことを訊ね始めた。彼の生い立ち、家族構成、音楽活動など、知りたいことは山ほどあった。彼の健康状態もだ。

彼は気さくに打ち明けた。

LAで育ったが、両親はオクラホマ出身であることを説明しながら、メモを取った。彼の父親はロイ1世で、母の名はルビーだった。

「あなたは2代目のロイってことですね」

ランチの間中、私がたびたび横から口を挟んだことで、話が脱線することも多かったが、そのおかげでもっと面白い話が聞けた。私は不安に駆られていた。時間は限られているし、父と一緒にいられるのはこの日だけかもしれないと思ったからだ。コーヒーとデザートを注文したのは、それが欲しかったからではなく、一緒にいる時間を長くしたかったからだ。

私の母親がいかに協力的であったかを、彼は微笑みながら語った。同じヴィブラフォン奏者のライオネル・ハンプトンさながらに、彼の名前がライトアップされるのを彼女は夢見ていて、そして実際に目の当たりにしたのだ。その話を聞いて、私は自分を同じようにさせてくれた母の姿を思い浮かべた。しかし、その話を掘り下げるには時間が足りなかった。他にも知りたいことがった。

ロイは私が知らなかった人種的背景も教えてくれた。ロイの父は黒人で、母はチェロキー族とのハーフだったそうだ。ロイの母は、彼にはネイティブ・アメリカンの血が流れていると語っていたという。私はそれまでの34年間、自分が黒人と白人のハーフであると言い続けてきた。そのことをのちに母に話すと、ずっとユダヤ系だとしか教わっていなかった祖父母について聞かされた。その日のうちに、私は8分の3が黒人、4分の1がロシア系ユダヤ人、4分の1がルーマニア系ユダヤ人、8分の1がネイティブアメリカンであることを知ることとなった。

ロイには、トマシーナ、ロイエナ、ミシェレイという3人の妹がいた。彼女たちの名前は、母から教わったロイに関する少ない情報の一部として知っていた。3人とも、今は退職しているが、ロサンゼルスの学校で教えていた教師で、見た目はネイティブ・アメリカンだったと言う。彼は自分の頬骨と私の頬骨とを交互に指差して、念を押した。そうすることで、彼は誰も疑ってはいなかったものの、といって確証もあまりない、私たちの血のつながりを訴え続けた。

ロイはとても身体的で生き生きとした会話をする人だった。昼食のテーブルに座っていても、腕を振り、頭を揺らし、強調するときには顔をぎゅっとしかめた。彼の自然で魅了されずにはいられない笑顔と、深刻な場面でも穏やかに微笑む姿に、私は自分を重ね合わせた。

年間200本のコンサートをこなしているという彼の言葉に、私は鉄火巻きを噴き出してしまいそうになった。私の世界では、年間100本のライブをこなすバンドは極めて勤勉なバンドだとされている。200本なんて聞いたこともない。

「演奏が好きだし、注目されるの好きだからね」。まるで鏡を見ているようだった。何か語るとき、彼は事実のみを語る。そして彼は、絶大なる自信をもって語る。彼はそういう人間だった。私にもそんなところがある。

From “My Life in the Sunshine” by Nabil Ayers, to be published on June 7 by Viking, an imprint of Penguin Publishing Group, a division of Penguin Random House, LLC. Copyright © 2022 by Nabil Ayers.

From Rolling Stone US.





Nabil Ayers Talk Session|BEATINK × blkswn jukebox presents

日時
2023年4月29日(土)15:00 - 16:30

タイムテーブル
15:00 - 15:20 自伝エッセイ『MY LIFE IN THE SUNSHINE』紹介【ナビル・エアーズ】
15:20 - 16:20 トーク&リスニング・セッション【ナビル・エアーズ + 小熊俊哉 + 若林恵】
16:20 - 16:30 質疑応答
16:30 終了
*開始5分前からウェビナーページにご入室いただけます
*タイムテーブルは変更される可能性がございます。あらかじめご了承ください。

参加方法
1|オフライン参加:25名限定/料金2,000円
 会場:黒鳥福祉センター / blkswn welfare centre
 住所:東京都港区虎ノ門3-7-5 虎ノ門Roots21ビル 地下1階
2|オンライン参加:100名/料金1000円
 Zoomウェビナーを使用
※「英語→日本語」の逐次通訳が入ります。
※イベント終了後、オンライン・オフライン双方の参加者の皆さまに期間限定でアーカイブ動画を公開いたします。

会場ではエアーズ自身が関わった作品などを含む、Beggars Group関連作品を取り揃えたミニポップアップストアも登場。父との複雑な関係、黒人としてのアイデンティティ形成といったリアルなライフストーリーから、コラムニストとしての幅広い活動、さらには激変する音楽産業におけるレーベル運営など、アメリカの音楽文化の奥深さに様々な角度から迫るまたとないイベント。インディロックファンはもとより、ジャズファンやコンテンツビジネスに関わる方にとっても有意義なひとときとなること間違いなし。

▶︎詳細・チケット購入はこちら

【ナビル・エアーズの執筆記事】
ニルヴァーナ「Smells Like Teen Spirit」がすべてを変えた夜

Translated by Kei Wakabayashi

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