ジャクソン・ブラウン来日取材 亡き盟友への想い、ウクライナ情勢、ニコとザ・フーを巡る秘話

 
ニコ、ルー・リード、ザ・フーを巡る秘話

―先ほど「青春の日々(These Days)」の話が出ましたが、写真家のサム・ジョーンズとあなたがあの曲のデモテープを聴きながらニコの話をしている動画を見たことがあります。あの曲が世に出たニコのアルバム『チェルシー・ガール』(1967年)のセッションがどんな風だったか教えてもらえますか? あなたがスタジオで録音した音源としては、最も古いもののひとつですよね。

ジャクソン:ニッティ・グリッティ・ダート・バンドの最初のシングル「バイ・フォー・ミー・ザ・レイン」(1967年)は僕の友人のグレッグ・コープランドとスティーヴ・ヌーナンが書いたんだけど、僕がロサンゼルスを離れてニューヨークへ来た頃にちょうどあの曲がヒットしていた記憶があるんだ。だから、あっちのレコーディングの方がニコよりちょっと前じゃないかな。僕はあの曲を録ったときスタジオにいたんだよ。レコーディングというものについて、まだ何ひとつわかってない頃だった。なかなかうまいドラマーだったんで話しかけたら「お前は誰だ?」と訊かれたんで、「あ、誰でもないです、彼らに曲を書いてる者で……」と答えた。僕が関係ないことをして進行を妨げてたんだろう、見かねたピアニストに「坊や、こっちに来て座って見てな」と声をかけられたんだが……その人はレッキング・クルーの伝説的なピアニスト、ドン・ランディだった(笑)。




―そんなことがあったんですね。ニコとのレコーディング現場には、ボブ・ディランやフランク・ザッパ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどを手掛けたプロデューサーのトム・ウィルソンがいたと思います。彼はどんな人でしたか?

ジャクソン:トム・ウィルソン! 確かにいたな。ハイになってたけどね。調整室からトークバックで「イェー、イェー、今のテイクは良かったね。じゃあもう一回!」って感じ(笑)。彼は何しろディランのプロデューサーだったから……カリスマ性があって、ハンサムで、クールな人だった。ニコのアルバムでは、ルー・リードが書いた曲はルーが、僕が書いた曲は僕がギターを弾いて。スターリング・モリソンやジョン・ケイルもスタジオに来てた気がする。あれに入ってるルーの曲は、普段ニコがクラブで歌うときは僕が伴奏してたんだけど、レコーディングするに当たってルーが弾くことになって。僕の曲は3曲採用された。

僕が弾いたセッションは1日で終わって、同じ日にルーも来ててさ。レコーディングが全部終わってから、ルーが「これからマレー・ザ・K(当時の有力ラジオDJ)のショーがあるけど、見に行くか?」と誘ってくれて、一緒に見に行った。出演者が凄くて、ザ・フー、ブルース・プロジェクト、ウィルソン・ピケット、それからクリームも出たと思う。その日、ピート・タウンゼントがステージでギターを破壊するのを初めて目撃したんだ。1967年のマレー・ザ・K・ショー、ニューヨーク、と検索すればそのときの出演者がわかるはずだよ。


「Concert Archives」より引用

―ルー・リードと一緒に1967年のザ・フーを見たんですか。

ジャクソン:そう。モンタレー・ポップ・フェスで大暴れして有名になる何カ月も前にね。だからモンタレーで次に見たときは、さほどショックを受けなかった。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画『欲望』(1967年)のギターを壊す場面も、最初はザ・フーに出演を依頼したけど断られて、ヤードバーズが出演することになったんだよね。

Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

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