ジャクソン・ブラウンが今こそ語る、アメリカ社会と環境問題への危機意識

ジャクソン・ブラウン(Photo by Nels Israelson)

ジャクソン・ブラウンが表紙を飾った、ローリングストーン誌フランス版のカバーストーリーを完全翻訳。LAの偉大なシンガーソングライターが、7月23日発売のニュー・アルバム 『ダウンヒル・フロム・エヴリホェア』にまつわる様々なエピソードを明かしてくれた。

類い稀な声、素晴らしくピュアで、憂愁に満ち、聴く者に迫る……最初のフレーズで彼の曲とわかる独特の個性。ブルース・スプリングスティーンはブラウンの『レイト・フォー・ザ・スカイ』を文句なしの傑作と絶賛した。

ブラウンは70年代初頭から、彼と同世代の若者の心情を歌い、誰よりも感動を与えてきた。「テイク・イット・イージー」、「プリテンダー」、「孤独なランナー」、「ロード・アウト」、「バリケーズ・オブ・ヘヴン」など、数多くの楽曲が色あせることなく、世界中で多くのリスナーの心を揺さぶってきた。「ビフォー・ザ・デリュージ」、「ローレス・アヴェニュー」などは、ブラウンの社会的、エコロジー的、政治的活動への飽くなき参加の証である。早い時期から反核を唱え、M.U.S.E. (Musiciens United for Safe Energy=安全なエネルギーを求めるミュージシャン連合)、そして『No Nukes』のコンサートを通じて、アメリカが抱える闇を訴え続けてきた。彼は最新アルバム『ダウンヒル・フロム・エヴリホェア』でも、変わらぬメッセージを体現している。ブラウン自身がLAの自宅から、ニューアルバム誕生の経緯について詳しく語ってくれた。



環境活動家としてのスタンス

―コロナ禍の影響で、あなたの新しいアルバムもリリースが延期されました。でもここ数カ月の間に、いくつかの収録曲が公開されましたね。タイトル曲の「ダウンヒル・フロム・エヴリホェア」は、マイクロプラスチックによる海洋汚染の取り返しのつかない被害をテーマにしたドキュメンタリー映画『The Story Of Plastic』にも使われており、あなたもこの映画に出演しています。

ブラウン:この楽曲は、チャールズ・ムーア大佐の海洋学研究にインスピレーションを得たものだ。ムーア氏は北大西洋における、プラスチックごみのもたらす災禍について、初めに警鐘を鳴らした人物の一人。「海はあらゆるところから下り坂」(The ocean is downhill from everywhere)と彼は言っていた。

確かにプラスチックは素晴らしい発明だし、医学的な機器の開発にも大いに寄与した。 しかし、便利なものがもたらされると使い道を誤るという傾向も、産業や社会には存在する。今日において、水は誰でも好きな時に飲める便利なものになったけど、そこには「お金を払って水を手に入れる」というパラドックスもあるわけだよね。水は本来、誰もがただで手に入れられるものだったのに。

僕が今回の曲で訴えたかったのは、別に難しいことではないんだよ。ただ、酸素は海からやってくるということ。僕たちが普段吸っている空気は、海がもたらしてくれるものだ。プラスチックから逃れて自由になろうーーアメリカでは多くの人々が、この問題の大切さに気付き始めている。そしてプラスチックの生産量に制限を加えようとしている。その一方で、ある種のメーカーや人々は「いや大丈夫。リサイクルすればいいんだから」と呑気に構えているわけだけど、そんなに簡単な話じゃない。僕たちはぎりぎりの瀬戸際に生きていて、このプラスチック問題は地球温暖化とリンクしている。あと100年のうちに、人類が環境破壊を克服して生き延びられるかどうかがはっきりすると思うよ。



―多くのファンは、『レイト・フォー・ザ・スカイ』に収められた「ビフォー・ザ・デリュージ」(=洪水の前に)が、あなたがエコロジー問題に興味を持つようになった最初の頃に作られた曲だと思っています。“彼らのなかには怒っているものもいる/地球は悪用されてきた 美しさをパワーに変える術を身に付けた人々によって”1974年に書かれた歌詞ですが、実に慧眼でした。

ブラウン:確かにあの曲は、社会参加を表明した初期のものだ。『レイト・フォー・ザ・スカイ』は僕のなかにある問題意識を表明するきっかけを与えてくれた。「ビフォー・ザ・デリュージ」はとりわけ重要な曲だね。あの曲をリリースしたあたりから、僕はエコロジーや反原子力問題について支持を明らかにするようになったわけだから。


『No Nukes』出演時のジャクソン・ブラウン

―この曲の「プレ黙示録的」な側面は、グラハム・ナッシュなどとM.U.S.E.を立ち上げ、1979年にマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを行う原動力になったのではないでしょうか? あのときのコンサートは録音もされ、映画にもなりましたよね。CSN、ドゥービー・ブラザーズ、ジェームス・テイラー、トム・ペティ、そしてブルース・スプリングスティーンまで、当時の錚々たるミュージシャンが顔を揃えていて素晴らしかったです。あのコンサートで何かが変わったと思いますか?

ブラウン:さあ、どうだろうね。そういったコンサートが本当にターニングポイントになったのかはわからない(編注:コンサートの数カ月後、スリーマイル島原子力発電所で放射能漏れ事故が起きた)。映画『No Nukes』には原子力発電の危険性を訴えるシーンがあり、ミュージシャンたちはこの問題と立ち向かうべく団結していた。ただ、音楽には社会問題に関心を集めるための力もあるけど、そこまで考えを巡らせることなく、ただ音楽を楽しむこともできるわけだ。「人々に考えることを促す」という意味でいうと、『No Nukes』は不完全なモデルだった。でも、この問題にまつわる本物のドキュメンタリーを見てもらうきっかけは提供できたのかなとも思う。

Translated by Keiko Tamura

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