ジャクソン・ブラウン来日取材 亡き盟友への想い、ウクライナ情勢、ニコとザ・フーを巡る秘話

 
亡くなった盟友たちとの思い出

―続いて旧友たちの話を。2月にキーボード奏者のジェフ・ヤング、3月にデヴィッド・リンドレーと、あなたの作品に深く関わった人々の訃報が続いてご心痛だと思います。彼らはあなたにとってどんな存在の人物/ミュージシャンでしたか。

ジャクソン:ジェフ・ヤングは僕のバンドでとても役に立ってくれる、多才なミュージシャンだった。歴史に名を残すロックンロールのレコード、モータウンのレコードで演奏しているミュージシャンはジャズ出身の人が結構多いが、ジェフも高度な音楽技術を持つジャズミュージシャンとしての基礎がある。彼はシンガーとしても、オルガン奏者、ピアノ奏者としても別格だった。ライブではいつも、オルガンで素晴らしいソロを聴かせてくれた……どんなときもエモーショナルで、とても美しいソロを。ジェフのオルガンは曲にドラマとスケール感をもたらしてくれた。彼は大音量で弾くべきところ、とても静かに弾くべきところを完璧に理解していて、バンド全体のオーケストレイションを司る存在だったよ。

ハモンド・オルガンは僕の音楽にとって重要な楽器であり続けてきた。ジェイ・ウィンディング、マイク・アトリー、ビル・ペイン、ダグ・ヘイウッド……多くのオルガン奏者と組んできたけど、ジェフ・ヤングはそれら過去の楽曲もすっかり昇華して、彼自身のサウンドで表現していたよ。そして彼もデヴィッド・リンドレーも、代えのきかない個性的なミュージシャンだった。ジェフが亡くなってからほんの1週間ほどで、今度はデヴィッドも亡くなってしまって……。


ジェフ・ヤング、ヴァル・マッカラムとの自宅セッション映像(2021年)

ジャクソン:デヴィッド・リンドレーはいつも、僕にとって先生であり、メンターのような存在だった。デヴィッドとレコーディングしたいと思い、ツアーでロンドンへ行ったとき(1971年)に彼と会った。彼がイギリスへ渡ってテリー・リードのバンドでプレイしていた時期にね。僕の姉とデートしていたチェスリー・ミリキンという男がデヴィッドと親しかったので、彼に紹介してもらったんだ。デヴィッドは駆け出しの若いミュージシャンに、とても親切に接してくれたよ。僕にとって、彼が在籍していたカレイドスコープの1stアルバム(『Side Trips』)はとても重要な作品だったから……。



―なるほど。てっきりデヴィッド・リンドレーとは彼がカレイドスコープにいた頃から親しかったのかと思っていました。

ジャクソン:最初は僕が一方的にデヴィッドのことを知っていた。カレイドスコープのファンだったからね。なぜデヴィッドに注目していたかというと……僕が60年代にニッティ・グリッティ・ダート・バンドにいたことは知ってるよね? 僕が脱退してから後任としてバンドに入ったジョン・マッキューエンは、バンジョーからマンドリンまで何でもこなす素晴らしいプレイヤーだ。そのジョンが出場した1966年のトパンガ・バンジョー・フィドル・コンテストで審査員を務めていたのがデヴィッドなんだよ。デヴィッドはそのコンテストで5回も優勝して、あまりにもうますぎるので、まだ20代なのに審査員に選ばれるほどの達人だった(笑)。そんなわけで、ニッティ・グリッティを通してデヴィッドと知り合ってはいたけれど、イギリスへ行く前は近しい間柄というわけでもなかった。

実はロンドンでは、1stアルバム用にレコーディングをしていたんだ。デヴィッドにもお願いしてスタジオに来てもらったが、その日は奇妙なことにプロデューサーのデニー・コーデルがスタジオに現れない。仕方がないから、プロデューサー抜きで少しセッションをしてから、ふたりでスタジオの向かいのパブへ行って酔いつぶれた(笑)。そのときにもう、お互いに「一緒にバンドをやりたいね」と話していたんだよ。

で、ここからは僕のトラウマの話だ(笑)。デニー・コーデルは僕がアサイラム・レコードからデビューすると知っていてプロデュースを引き受けたが、デヴィッド・ゲフィンがアサイラムをなかなか始めないので、そっちで出ないなら自分のシェルター・レコードから僕のアルバムを発売しようと狙っていたようだった。ところが、デヴィッド・ゲフィンがアサイラムを正式に発足させると、デニーはシェルターをレオン・ラッセルと共同経営していた手前、「自分が他社のアサイラムのためにプロデュースをすることはできない」と言い出したんだよ。おかげでロンドンでのセッションは全部お蔵入りして、今ではテープがどこへ行ったのかもわからない。

―それはもったいない……。

ジャクソン:で、アメリカに戻ってから僕は1stアルバムを録り直し、アサイラムから出した。やがてデヴィッドも帰国して、2ndアルバム『フォー・エヴリマン』に参加してもらい、ふたりでツアーに出ることになるんだ。「青春の日々(These Days)」でのデヴィッドの演奏は、ベーシックトラックを聴いてみるとまるでオルガンのように聞こえる。非常に思慮深さが感じられる演奏だ。ピアノはデヴィッド・ぺイチ、ベースはダグ・ヘイウッド、ドラムスはジム・ケルトナー、僕がアコースティック・ギター、そしてデヴィッド……シンプルな編成だね。当時はデヴィッドのようなラップ・スティールの弾き方を、誰も聴いたことがなかった。画期的だったと思う。

「レッド・ネック・フレンド」で彼のプレイを聴いたときのことも記憶に残っている。「これこれ! まさにこれだよ! 最高!」と即座に思った。デヴィッドはソロにせよバッキングにせよ、本当に極上の演奏を提供してくれたね。彼は普通のセッション・プレイヤーとは異質で、やっぱりバンドマンなんだ。今YouTubeで彼と僕がふたりで演奏している動画を見てもらうとわかるけど、デュオでもサウンドはフル……完璧だよ。彼とは一緒にツアーにも出て、特別な関係を築くことができた。

今はデヴィッドと築いたような特別な関係を、グレッグ・リースと築けている。何も言わなくても通じ合える仲だ。グレッグとデヴィッドの大きな違いは、デヴィッドが何度も何度もトライして何かを見つけ出すタイプだったのに対して、グレッグは多種多様なミュージシャンと共演してプロデュースもしてきた人なので、もっと整然としている。しかしデヴィッドがそうだったように、彼も同じ曲を毎回違う風にプレイするんだ。




Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

RECOMMENDEDおすすめの記事


 

RELATED関連する記事

 

MOST VIEWED人気の記事

 

Current ISSUE