侵攻から1年、ウクライナで目撃した日常「この戦争に勝っても、いがみ合いは続く」

冬になるにつれ、苦労の末に勝ち取ったキーウの日常も定着した。秋から冬の序盤にかけ、ロシアはキーウやウクライナの主要都市を容赦なく爆撃した。発電所や民間インフラが標的となり、街の大半がたびたび停電に見舞われ、水も電気も携帯電話サービスも不規則になった。東部前線では寒さや停電がさらに厳しく、凄惨の度合いは比較にならなかった。キーウではミサイルやドローンの攻撃が後を絶たなかったため、サーシャはパートナーのソフィとともにイヴァーノ・フランキーウシクに戻った。「時々、外の音がものすごくうるさくてさ」と彼は語った。2人はクラマトルスクにいるサーシャの両親の家に移った。最大の激戦地バフムトから北にわずか数マイルの場所だ。ソフィは1度ハルキウに戻ったが、サーシャは訪れる気になれなかった。

「まるでジェットコースターみたいだ」と、昨日もサーシャは電話口で語った。「目が覚めて、今日はいい日だという時もある――犬を散歩したり、パートナーに花を買ったり。でも防空システムが作動する音が聞こえ、胸の真ん中には石がつかえた感じだ」。

戦争が勃発して間もないころにアウディーイウカで出会った女性ダリアは、いつ故郷に戻れるかいまだに検討がついていない。アウディーイウカは8年間も前線状態で、現在はロシアの進軍ルートのど真ん中に位置している。家族は現在ドニプロ近辺で暮らし、警察官の父親は前線から50キロ離れたところで仕事をしている――直接危険を受けることはないが、心配するには十分な距離だ。戦争から1年の節目を迎え、今朝がたダリアにメッセージを送った。ドニプロ周辺の状況は平穏だという。あれから1年、今はどうしているのかと尋ねてみた。

「正直、よくわからないの」と彼女は言う。「ふだん通り生活しようとしてるけど、私の街が来る日も苦難に見舞われていると思うと、居ても立っても居られない。街のこと、大好きだったアパートのこと、カフェやあそこで過ごしたたくさんの楽しい思い出を毎日思い返している」。

ダリアが伯母のアパートの動画を送ってくれた。戦争前に筆者も賑やかなパーティに呼ばれたことがある。ドアは壊され、ベッドはひっくり返って窓に叩きつけられ、引き出しは乱れ飛んでいた。みんなで古いロシアのロックを歌ったソファは見るも無残な姿で、破片だらけ。住民の一部は安全だとしても、アウディーイウカは今や戦争のまっただ中だ。

大半のウクライナ人は不安――サーシャの言葉を借りれば、胸の真ん中につかえた石――に嫌気がさし、新たな心配の種を認めたがらない。ここ数日、1年の節目に戦況がエスカレートするのではという憶測が飛び交っているが、キーウでは誰もとくに気にしている様子はない――侵攻直前の非現実的な数日間のようだ。当時もウクライナ人は、アメリカ諜報部が暗鬱な警告を発し、ウクライナ政府は侵攻が直前に迫っていることを否定する中で、不満を募らせながら普段通りの生活を続けようとした。

Akiko Kato

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