ブライアン・アダムスが語る80年代の記憶、絶好調の今「日本は僕にとって特別な国」

 
名作『Reckless』にまつわるエピソード

―次の『Reckless』(1984年)に収められた「Heaven」は、何年か前にブランディ・カーライルがカバーしていて新鮮でした。もともとは映画用に書かれた曲ですが、あの曲はどんな風に生まれたんでしょう?

ブライアン:当時所属していたレコード会社のA&Mが、自社アーティストが音楽を手掛ける映画を作ることになって、僕にも曲を提供するように言ってきた。それでジムと二人であの曲を書いた。それだけの話だよ。



―なるほど。「Heaven」の歌詞やメロディは、どうやって思いついたんですか?

ブライアン:ジムがピアノを弾いて……あの曲のときは、フェンダーローズでコードを弾き、それに合わせて僕がトップラインのメロディを歌った。その段階では大抵、何かしらの言葉が仮でついているので、それを後から修正して本チャンの歌詞にしていくという流れさ。80年代の僕とジムのソングライティングは、ほぼ全てそうやって書いていたんだ。つまりはドラムループに、ジムのピアノかベース、そして僕のヴォーカルとギターだ。歌っていると、その中でたまにいいメロディが思い浮かぶ。「Heaven」もそうやって生まれたんだ。

―「Heaven」は今でも多くの人に歌われている名曲ですが、『Reckless』に入れない可能性があった、と聞きました。

ブライアン:いや、それは正しくないよ。『Reckless』には入れたいと思っていた。でもすぐにシングルとしてリリースしたくなかったんだ。機が熟すのを待ちたかった。だからずっとずっと待って、「Run To You」や「Somebody」を出した後で、ようやく「Heaven」をシングルカットしたわけさ。

―あなたがナイル・ロジャースのポッドキャストで話していた、「Summer Of ‘69」を録音したときの話が面白かったです。何度もデモを作り直してなかなか完成しなかったところに、たまたま出会ったスカ・バンドの若いドラマー、パット・ステュワードをスタジオに呼んで、求めていたエナジーをようやく得ることができたそうですね。出会ったばかりの若手を起用する判断力がすごいと思いました。

ブライアン:わかってもらいたいのは、あの曲はパフォーマンスがあまり良くなくて、アルバムから外す寸前だったんだ。でも絶対になんとかしてみせると心に強く決めていた。レコードで聴けるバージョンになるまで4回デモをレコーディングし直していた。エネルギッシュさがすべてだったんで、爆発する感じを求めていたんだ。でもパットを見た瞬間、「彼になら、この曲を飛び立たせるのに必要なエネルギーがある」って思えたんだ。で、僕の直感は的中した。彼をスタジオに呼び、「Kids Wanna Rock」「Summer Of '69」「One NIght Love Affair」の3曲を録音したところ、見事に爆発したんだ。



―そのパットが、今のツアーメンバーにもいるわけですが。彼は日本にも来ますか?

ブライアン:(日本語で)ハイ!

―うれしい情報をありがとうございます。『Reckless』が爆発的なヒットを記録した時点で、あなたはまだ20代半ばの若者でした。異常な過密スケジュールと、世界的な名声を経験したとき、どうやってそれを乗り越えて平常心を保ったんでしょう?

ブライアン:いや、保てなかったよ。

―(笑)

ブライアン:だからとにかく楽しんだ。実際、ヒット・アルバムを持って世界中を回るのはとても楽しかったさ。とは言っても、すぐに火がついたわけじゃなく、数カ月はかかったんじゃないかな。本当に大ヒットし始めたのは、1985年夏の終わり以降だ。でもそれまでも「何かが起こるぞ」という予感みたいなものはずっと感じてたんだ。僕らはとにかくツアーを続けた。そうすることでなんとかやっていたんだよ。

Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

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