バッド・レリジョンが語る、PUNKSPRINGの思い出、オープンマインドでいることの大切さ

ライブの変遷について

―グレッグが日本に来た時にいつもやりたいことはありますか?

グレッグ 僕はソングライターで、本のライターでもあるから、文房具の専門店、伊東屋に行くのが好きなんだ。日本製の紙とか筆記道具が大好きなんだよね。あと、小さな蕎麦屋に行くのも大好きだ。僕たちにとって日本に行けることは一種の特権みたいなものでね。普通に通りに出て、人々が歩いているのを見るだけでも楽しいし、街の様子、そこで起こっている出来事、ナイトライフを見ているだけで特別な気持ちになれるんだ。

―バッド・レリジョンは80年代からライブ活動を続けていますが、年を追うごとにバッド・レリジョンのライブはどう変わってきましたか? それこそ最初の80年代はLAのハードコア・パンクの黎明期でしたよね。

グレッグ 年を追うごとに洗練されてきたと思うね。80年代の僕たちはもっとラフだったと思うんだ。僕とブレット(・ガーヴィッツ)が書いた曲は演奏するのが難しかったしね。80年代のライブはスゴくラフだったけど、そこからどんどん腕を上げていって、今ではかつてないほど演奏が上手くなっていると思うよ。僕たちのミュージシャンシップも唯一無二のものになったと思うね。パンク、ロックに限らず、音楽の世界の中でも最高のミュージシャンの集まりになったと思っている。2022年以降に僕たちのライブを初めて観たファンは、洗練された新しく生まれ変わったバッド・レリジョンを目にしているんだ。昔からのファンであれば、80年代にスゴくラフだった僕たちが何十年もかけて成長したのを目にしていると思うよ。僕たちは決して停滞することがなかったし、その成長ぶりはバンドが40年間ステージに立ち続けてきただけのことはあると思うんだ。

―90年代のことも聞きたいのですが、88年のアルバム『Suffer』が数多くのバンドとシーンに大きな影響を与えて、そこから90年代は新しいパンクの時代が到来しました。あの時代に新しくバッド・レリジョンのシグネチャーとなるサウンドを生み出したのには、どのような背景があったのですか?

グレッグ 実際、簡単なことではなかったよ。どんなアートでもそうだけど、前の作品の成功があって、その積み重ねの中から新しいものが生まれる。それは科学の世界も同じことなんだ。しかも前の作品のすべてが成功しているわけではない。だから、良い要素だけを取り出して、そこに新たな要素を加えていく。それで最終的に進化として結実していくんだ。A・B・Cみたいなパターンで曲を作れたらいいんだろうけど、そんなに簡単なものじゃないからね。コミットメントが必要だし、多くのバンドはそこでもっとやろうという気持ちが失せてしまう。だけど僕たちは常に進化しようと思ってやってきたし、前の作品の成功があって、その上にさらに新しいことにトライして重ねていったから、バンドとしての成長、アーティストとしての成長を見せることができたんだと思う。



―コンフォートゾーンから抜け出して、ずっと切磋琢磨してきたわけですね。アルバム制作でトッド・ラングレンやリック・オケイセックのような外部のプロデューサーを迎えたこともあるし、再びブレット・ガーヴィッツと組んで作った2002年の『The Process of Belief』は、非常にフレッシュな印象を与えるアルバムでした。音楽制作のアプローチはかなりクリエイティブですよね。

グレッグ そうだね。去年「Punk Pardox」という本を出したんだけど、今言ってくれたような、いろいろなプロデューサーと制作したこと、アルバムで新たなテクニカルなトライをしたこと、常にクリエイティブでフレッシュでいることについて書いているよ。



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