リナ・サワヤマが大いに語る 過去のトラウマ、母親との関係、自分自身の再教育

サクセスストーリーの背景と功罪

リナのミッション、それはクールではない音楽をクールに生まれ変わらせることだ。ミニアルバムの『RINA』(2017年)とデビューアルバムの『SAWAYAMA』からは、ブリトニー・スピアーズやエヴァネッセンス、コーンやパパ・ローチ等のダーティーなロックバンドまで、彼女の多様な音楽的バックグラウンドが見てとれた。後者のリリースから2年、パンデミックがもたらしたノスタルジアの波に後押しされる形で、ニューメタルや90年代およびゼロ年代のポップ、スタジアム・ロックといった過去の産物は今やトレンドとなっている。だからこそ『Holld the Girl』のサウンドは、世間がまるで予想しないものでなくてはならなかった。

ハイライトである「Catch Me in the Air」は、アイルランドのコアー兄妹によるポップバンド、ザ・コアーズの影響が顕著だ。それだけでも十分に遊び心を感じさせるが、彼女は同曲のイメージについて「当時カムバックを果たそうとしていたグウェン・ステファニーのためにコアーズが書いた曲」としている。「『Catch Me in the Air』のアイデアはしばらく温めていたんです」とリナは話す。「ブリッジからコーラスの部分では、崖の上から透き通る水の中へと飛び込んでいくような高揚感を出したかった」

同曲で、彼女は母親との関係を讃えている。「それぞれの人生の異なるステージで、私たちがお互いを宙で受け止めるまでの経緯、そして一人親家庭での子育ての難しさを歌った曲。シングルマザーとその子供の、まるで姉妹どうしのような間柄を祝福しているんです。その複雑な関係を、私は大人の視点で描きたかった」



リナは30歳になるまで、母親という存在や彼女と過ごした時間に対し、自分がフラストレーションを抱いているという事実を認めるだけの余裕と寛容さを持ち合わせていなかった。「私に母の真似はできないと思いますね。母は英語が話せないのに、父と一緒に(英国に)移住し、その後離婚を経験していて」と彼女は話す。「家族を経済的に支えていたのは父で、母はお金を稼ぐ手段を知らなかった。私が15歳になるまで、私たちはルームシェアをしていました。自分より少しだけ若い娘とそんなふうに暮らすなんて、私にはとてもできそうにありません」

サウンドのイメージを伝える目的で、彼女はプロデューサーのスチュアート・プライスに様々な画像を送っていた。「誰かが崖で瞑想しているところ、カモメの写真、埠頭に立つ人、波が打ち寄せるアイルランドの海岸」など、彼女は画像について思い出しながら話す。「そういうイメージを、彼は見事にサウンドに昇華してくれました」


Photo by Marcus Cooper for Rolling Stone UK

“私を繋ぎ合わせて、もっとよくして”と懇願し、ヒリヒリするような緊張感を漂わせるインディーロックの「Frankenstein」(まるでガールズ・アラウドがフランツ・フェルディナンドやマキシモ・パークをカバーしているよう)も、変化球ながら出色の出来だ。同曲を彼女と共作したのはローレン・アキリーナと、ブロック・パーティーのプロデュースで名を広め、最近ではアデルやフローレンス・アンド・ザ・マシーンとの仕事で知られるポール・エプワース。慌ただしいドラムパターンを叩いているのは、エプワースを介してアプローチした元ブロック・パーティーのマット・トンだ。「彼が血まみれになった手の写真を送ってきたんです。BPMは130くらいだと思いますが、かなり速いですよね」とリナは笑って話す。「とにかくスウィートな人。彼もアジア系だということもあり、少しの間文通していたこともあるくらい。音楽業界に生きるアジア人として、彼からすごく刺激をもらっています」

英国インディーとそのファッション(”超タイトな白のジーンズに、コンバースの靴とウェストコート”)の震源地であるカムデン周辺で育ったリナは、同地のシーンに強い思い入れがある。「週に2回ライブに行って、”The”で始まるバンドのレコードをたくさん買いました。今では処分品のカゴに入ってるようなやつ」。彼女は笑顔でそう話す。彼女はザ・ブレイヴリーの大ファンで、UKとヨーロッパでの公演に数多く足を運んでいたという。

「ファンのことを何とも思っていないアーティストを応援するのがどういう気分か、私はよく知ってます。あれは酒飲みとラッド・カルチャーの再来。ファンを大事にしないということが、当時のバンドのイメージ戦略になってました。朝9時からブリクストン・アカデミーで開場待ちをした時のことをよく覚えています。(私は)ザ・ブレイヴリーなんかよりも、ファンをもっとずっと大切にしたい。ディスるわけじゃないけど、本当のことだから」


Photo by Marcus Cooper for Rolling Stone UK

リナの知性は、彼女のあらゆる行動に現れている。だからこそ、彼女は批評家たちから惜しみない賞賛を集めているのだろう。取材の間、彼女は視線を鏡と筆者の中間に向けて、頭の中で考えている内容に不備がないことを確認してから笑顔を浮かべ、はにかんだ様子で「うん」と頷く。まるで質問に対する回答を考えながら、同時に相手の反応を窺っているかのように。

彼女はケンブリッジ大学で政治学、心理学、社会学を学んだが、白人の上流階級の差別的な態度には嫌悪感を覚えていた。その後は生活費を稼ぐ目的でモデル業をこなしながらも、20代は主にロンドンのアンダーグラウンドシーンで活動し、ポップでゲイフレンドリーなダンスのルーティンと、孤独感やソーシャルメディアでのやり取りをテーマにした楽曲を売りにしていた。

熱狂的なファンベース、批評家たちからの支持、そしてこれまでに発表した全作品に共通する明確なコンセプトを伴うビジョンを持っているにも関わらず、彼女はまだ大きなヒットには恵まれていない。だが、シャナイア・トゥエインやレディー・ガガ、ABBA等にも通じる、希望の喪失を歌ったクィアパーティのアンセム「This Hell」は、彼女のチャート記録を塗り替えそうな可能性を秘めている。

「カントリーの現実逃避感に、以前からすごく惹かれていました。非常にアットホームなんだけど、イギリス人にとってはウェスタンに近くて」とリナは話す。「日本生まれ英国育ちの私がカントリーをやるのはおかしいのかもしれないけど、私はそういうことを全く気にしない。ただ、楽しみたいだけなんです」

“この地獄もあなたと一緒ならマシ”という多義的なサビが印象深い同曲には、パンデミックや気候変動問題、イギリスの政治情勢、生活費の高騰など、脅威に満ちたこの悲惨な世界を愛する誰かと乗り越えていこうとする、どこかコミカルな決意が感じ取れる。



LGBTQ+のコミュニティとアヴァンギャルドなポップの界隈で人気を集めるリナが、メインストリームを席巻する可能性は大いにある。パンデミックの最中、イギリス国籍を持たないアーティストが英国の有名アワードにノミネートされない状況を変えるべきだと声を上げた彼女は、世界中の音楽業界から大きな注目を集めた。その結果、マーキュリー賞はノミネートの条件を変更した。過去にPJハーヴェイやディジー・ラスカル、デイヴ等が受賞した栄誉あるこのアワードに、彼女は今年こそノミネートされてみせると誓う。

「マーキュリー賞はずっと憧れでした」と彼女は話す。「10代の頃に好きだったCDの多くに、あのシールが貼られていました。国籍だけが理由で選考の対象外とされてしまっている人々が、同じプラットフォームで然るべき評価を受けられることが大切。音楽業界というフィールドはフェアであるべきですから」

また、リナは俳優業にも挑戦している。2023年初頭に公開予定の『ジョン・ウィック: チャプター4』で、彼女は主要キャラクターの1人を演じる。同作の制作チームはチャド・スタエルスキ監督と彼女のビデオ電話をアレンジし、その場でスクリーンテストが行われた。「その数日後には飛行機に乗って、3カ月間に及ぶ格闘シーンの特訓現場に向かいました」と彼女は話す。

「制作チームが振り付けができる人を探していた時に、チャド・スタエルスキが私の『XS』と『Bad Friend』のビデオを観たらしくて。一方にはダンスシーンが、もう一方には格闘シーンが出てくるので」。厳しいトレーニングを積み、毎日共演者たちと顔を合わせる現場のフレンドリーなムードを大いに楽しんだ彼女は、今後も俳優業に積極的に取り組んでいくつもりだという。それは彼女の更なるキャリアアップに繋がるはずだ。

パンデミックの真っ只中に、期待のニューカマーとして注目されることは奇妙な経験だったという。その主な理由は、過去2年間のうちに狂信的なファンという存在がより一般的になったのか、それとも彼女のファンの数と熱狂度が著しく増したからなのか、判断がつかなかったからだ。

「パンデミックの前は私のことなんて誰も知らなくて、みすぼらしい格好で出歩いても何の問題もなかったんですが、今ではすっかり、すっかり状況が一変しました」。慎重に言葉を選びながらそう語った彼女によると、ロンドンの市街地で声をかけられることは少なくなかったが、最近では自宅付近でも呼び止められるようになり、プライバシーの侵害に悩まされているという。「知らない人から声をかけられるようになってから、またトークセラピーが必要になりました。誰にも会いに行けなくて不安で、家に引きこもっていたせいで閉所恐怖症になりかけたくらい。相手に悪気がないのはわかっていても、知らない人からハグをされるたびに、私は叫び出しそうになってました」

彼女はこの問題も、セラピーによって解消することができた。人生の多くの局面でセラピーに頼ってきた彼女が、その利用を人々に勧めようとするのはごく自然なことだろう。「仕事を3つ掛け持ちしていてメンタルヘルスが最悪の状態だった時は、週1でセラピーに通うためのお金を確保しておくことが必須でした」と彼女は話す。「それが最優先事項だったんです」。NHS(イギリスの国民保健サービス)の資金不足に起因する運営状況の悪化を予想していたかのように、彼女はこう付け加えた。「でも私は、ミーンズテスト(補助金交付審査のための家計調査 )と変動性料金のおかげで、基準よりもずっと安い値段で今のセラピストにかかることができたんです。セラピーの効果はすごいので、ぜひとも利用してほしいですね」

Translated by Masaaki Yoshida

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