チャーリーXCXが語る、弱さと強さ、絶望と希望、すべてをさらけ出すポップスターの覚悟

セレブレティ・カルチャーの面白いところ

これまで彼女は、メインストリームで成功するには先鋭的過ぎると考えられ、見くびられている節があった。パンデミックの間にハイパーポップがジャンルとして定着したことは、時代がようやく彼女に追いついた証拠の1つであり、彼女は2020年代における同ジャンルの代表的存在と見なされている。「多くのアーティストがハイパーポップとしてカテゴライズされるようになったことは、ああいうサウンドがより広い層に認知されるようになった証拠。それまでは単に形容不可能なものでしかなかったから」とエイチソンは話す。「他のどんなジャンルにも当てはまらないから、これまでそういうアーティストの曲はプレイリストに入らなかった。でもカテゴリーが認知されるようになった今は、Spotifyプレイリストのガイダンスなしではそういうサウンドに触れる機会のなかったリスナーが、特定のアーティストやスタイルを受け入れやすくなった。そういう背景のおかげで、私の音楽も少しだけ理解されやすくなってると思う」


Photo by Jack Bridgland

表面的で遊蕩なものを時にアートとして昇華させてきたからこそ、それは多くの人々に愛されてきた。彼女の音楽は虚無的な笑いを愛し、資本主義が崩壊へと向かう中で身を粉にして働きつつ、全力で遊び続ける人々に捧げるものだ。そのユーモアセンスと同様に、彼女のペルソナは退屈だったりセクシーだったり、時には分裂症的だったりする。しかし彼女の不穏な歌詞は、自身の欠点を赤丸で囲んでいるかのようだ。彼女は頻繁に、自分自身に対して極端に批判的であろうとする。フェミニズムのエンパワーメントが叫ばれる時代に、高飛車な自画自賛や自己嫌悪は受け入れられにくいだろう。イギリスらしい女性ポップスター、あるいはグローバルなスーパースターとなるには、彼女はあまりに支配的で複雑で不真面目な存在だ。


Photo by Jack Bridgland

エイチソン自身は、セレブレティが身近で“リアル”な存在であるべきだという考えに否定的だ。それは彼女がキャリアを築いてきた2010年代にピークを迎えたセレブレティ・カルチャーの在り方だった。「パリス・ヒルトンやリンジー・ローハンが圧倒的なカリスマだった2000年代初頭は最高だった」と彼女は話す。「正直、それはミュージシャンにも言えることだと思う。大好きなミュージシャンには衝撃を与えて欲しいし、驚かせ、苛立たせ、脳内を思いっきりかき乱して欲しい。そういうアーティストに安心できるようなものは求めていないし、次に何をするのか読めなくて油断できない存在であってほしい」。彼女にとってはカニエ・ウェストやヤング・リーン、トミー・キャッシュ、そして彼女のコラボレーターであるキャロライン・ポラチェックがそういう存在だ。「芸能人、セレブ、アーティスト、ミュージシャン、パフォーマー、肩書きは何でもいいいけど、人々を魅了するのは予測不可能な存在だと思う。それがセレブレティ・カルチャーの面白いところ」

「今こうして電話で話してる最中も、自分が築いてきたものを壊したいっていう無茶な願望を抑えようと必死なの。自分自身を押さえつけ、コントロールすることに今はすごく苦労してる」

Translated by Masaaki Yoshida

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