シティ・ポップの源流、70年代後半の名曲を本城和治と語る



田家:1979年4月発売。山本達彦さん「ある日この夏~TWO WAY SUMMER」。ソロの2枚目のシングル。この曲のアレンジは松任谷正隆さん。この曲はどうですか?

本城:男でピアノを弾くシンガーソングライターはあまり経験なかったし初めてだったので興味を持って。非常にポップな良い曲を書くし。3枚アルバムを作って、その後東芝さんに移籍しちゃったんですけどね、引っ張られて。ブレイクする前に移籍しちゃったんです、残念なことに。

田家:そういう今までやったことのない、手がけたことのないアーティストを一緒にやってみたい気持ちはずっとおありになりますか。

本城:ありますね。やっぱりね。新しい出会いと新しいことをする人というか、新しい気分がありますよね。同じことの繰り返しじゃないと、仕事のしがいがあります。

田家:山本達彦さんは当時、シティポップスの貴公子みたいな言われ方をされたりしましたもんね。今は脚光を浴びている1つの流れになっていますけれども、それはどんなふうに思われますか?

本城:私のやっていた仕事は、結局そういう良質な都会的なポップスをやっていたので、まあ、今更という感じもするんですけれども(笑)。

田家:僕はずっと作ってきたよって(笑)。

本城:ただね、やっぱりここのところずっと音楽が非常にダンスミュージック化し、ティーン・エイジャー化するというか。大人のあまり美しい音楽とか、本当になくなってきちゃったので、そういった意味ではそういう復活というのはいいんじゃないかなと思いますけどね。

田家:自分がやってきたことが正しかったというか。

本城:そうですね。今の時代にまだ通用する部分があるのかなという気がしてますけども。

田家:時代を越えてきたということもあるんでしょうしね。そういう新しい才能というのを思いがけない形で世の中に登場するんだ、送り出されるんだという例を次の曲でお分かりいただけたらと思ったりするのですが、1979年7月、石川セリさんのシングル。作った人が誰かというのは曲の後にお話をしたいと思います。「ムーンライト・サーファー」。

Rolling Stone Japan 編集部

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