甲斐バンド、1974年から1977年までの歩みを振り返る

甲斐バンドのデビュー45周年のライブベストアルバム『サーカス&サーカス2019』




ちょっとクールな感じが、冷たい壁にもたれている感覚が出ているんではないでしょうか。甲斐バンドは今3人で活動しています。甲斐よしひろさん、松藤英男さん、田中一郎さん。田中一郎さんは当時リンドンというバンドに在籍していて、その後にARBに行って1983年から甲斐バンドに加入しました。オリジナルメンバーは、甲斐よしひろさん、ギターが大森信和さん、ベースが長岡和弘さん、ドラムが松藤英男さん。長岡さんは1979年に脱退して、キャニオンレコードに入ってヒットディレクターになります。大森さんは2004年に52歳で亡くなってしまうんです。そして今の形になります。

全員が福岡出身でライブハウス、当時はフォーク喫茶「照和」で活動しておりました。皆それぞれ自分たちのバンドを持っていたんですね。甲斐さんは高校生の時にノーマン・ホイットフィールドというカントリーバンドをやっていました。これは今改めてお伝えしないといけないことなのですが、ノーマン・ホイットフィールドはモータウンレコードのソングライター、プロデューサーで、マーヴィン・ゲイの「悲しいうわさ」を作った人ですね。そして、カントリーバンドだった。これが甲斐バンドを考える時の一つの入り口になりますね。

甲斐さんは高校生の時に「照和」で歌っていて、一度旅行代理店に務めます。そこを辞めて、「照和」のウェイターに戻ってまた歌い出すんですね。それでさっき話した、文化放送のコンテストでソロで優勝してプロになって、その時にこのメンバーになりました。すでに大森さんと長岡さんとは一緒にやっていて、そこにピエロというバンドでギターを弾いていた松藤さんをドラマーとしてバンドに迎え入れる、そんな成り立ちです。

結成が1974年5月。当時のキャッチフレーズが、九州最後のスーパースター。これは事務所が考えたものですね。「照和」というのはチューリップや海援隊、甲斐バンドを生んでます。いま、井上陽水さんもその中に括られることが多いんですが、実は、陽水さんはアマチュア時代に「照和」で歌ったことがない。陽水さんはアンドレ・カンドレでまず東京に来てしまいましたから、福岡でライブをやったことがないんです。陽水さんが「照和」でライブをしたのはデビュー後です。これは付け加えておきましょう。

当時の福岡のバンド人脈というのは、東京で言うと細野晴臣さんとか小坂忠さん、鈴木茂さん、柳田ヒロさんとか、ああいう人たちを中心に蠢いていた。それに匹敵して、更に街全体がそんな感じだったと思うと当時の福岡は本当に凄いと思いました。続いて、甲斐バンド最初のヒット曲で、1975年6月発売の2枚目のシングル『裏切りの街角』をお聞きください。

Rolling Stone Japan 編集部

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