錦戸亮が語る「さすらいの道」

自分をさらけ出す音楽

ー10月の武道館の無観客配信ライブ、2日目ラストの「Tokyoholic」「ノマド」の並びが印象的でした。バンド演奏のエネルギー感で高まったかと思うと、最後の曲ではストリングスを入れたアンサンブルで壮大な響き、そして歌詞の「どこまでも行こう」の一節がこういう状況だからということもあり、心に刺さりました。錦戸さんにとっても特別なライブの締めくくりだったと思いますが、どういう意図でこの2曲を?

錦戸:正直、音楽で何かを伝えたいっていうのはあんまりなくて。雑な言い方かもしれないですけど、1時間半ライブを観ていたその「時間」が楽しかった思い出で終われたなら、もうそれが全てやと思うので。自分自身もリスナーとして思うんですけど、何かを感じたいからじゃなくて、直感的にカッコいいと思うものを聴いて、そこから先に意味を見いだすというか。だから、届けたいとかそういうことよりも、僕はこういうのがカッコいいと思うけど、どうですかっていう提案をしているだけですかね。僕自身、好きやからってだけで音楽を聴きますし。なんで好きかを言葉で説明しろって言われても難しいときももちろんありますし、「なんか好き」っていう感じさえ思ってもらえればいいかなって。



ー例えば、エド・シーランは「自分は皆が考えていることを歌っているだけで、自分の気持ちを歌ってるわけじゃない」っていうタイプの歌い手の一人だと思うんですけど、錦戸さんもどちらかというそういうタイプ?

錦戸:いやー、そんなカッコよくないです。もっとグラグラしてると思いますよ。シンプルに「僕は今こういう音楽が好きです! こういう音楽がカッコいいと思います!」っていうのを提案してるだけかもしれないです。アルバム作る時にコンセプトから決めて、それに沿って曲を作っていく人もいると思いますけど、僕はもっと自然な気持ちでやってるというか。そん時の自分をさらけ出す、みたいな感じに近いかもしれないです。

ー錦戸さんがその曲にどんな想いを託したのかは別にしても、曲を作る、歌う、楽器を鳴らすっていう、それ自体は錦戸さんにとってすごく大切で尊いものであるわけじゃないですか。

錦戸:そうですね。以前おった場所やったら、同じ日にバラエティやったり歌やったり、違うジャンルの仕事をすることもあって。だけど今って、アルバム出してツアーやったりファンミーティングやったり、歌の活動しかしてない。仕事という意味で、コロナ禍で自分に何かできることってなったら、曲を出して何か発信し続けんと、とも思えますし、今見せられる自分の表現としてはこれしかないわけですから、ここでできるもの全てを捧げるような気持ちです。

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