フィル・スペクターが81歳で死去 「ウォール・オブ・サウンド」を発明したプロデューサー

フィル・スペクター(Michael Ochs Archives)

「ウォール・オブ・サウンド」の生みの親として知られ、1960年代初頭のポピュラー音楽の録音方法に革命を起こしたプロデューサー、フィル・スペクターが80歳で亡くなった。

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彼のスタジオでの功績は画期的なものだったが、2003年に自宅で女優のラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕。2009年に第2級殺人罪で禁固19年の有罪判決を受けて収監されており、その功績は影を潜めていた。

スペクターの死は、カリフォルニア州矯正リハビリテーション局によって確認された。カリフォルニア州の医療施設に収容されていたフィル・スペクターは、2021年1月16日(土)午後6時35分に、外部の病院で自然死を宣告された。彼の正式な死因は、サンホアキン郡保安官事務所の検死官によって決定される。

フィル・スペクター(本名:ハーヴェイ・フィリップ・スペクター)は1939年12月ニューヨーク市ブロンクス生まれ。父の死後、ロサンゼルスに移住し10代の頃から音楽活動をスタートさせた。1958年にテディ・ベアーズを結成し、翌年の「To know him is to love」(邦題:逢った途端にひとめぼれ)で全米1位を獲得。その後はバンド活動よりも音楽制作の方へと興味が移り、音楽プロデューサーとして活動を開始する。

1961年にレスター・シルと共にフィレス・レコード設立。ザ・ロネッツ「Be My Baby」を筆頭に数々のヒットを送り出す。この頃に「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる独自の録音技法を確立し、ポピュラー音楽に多大な影響を与えた。

1970年にはビートルズ『Let It Be』のプロデュースし、その後もジョン・レノンやジョージ・ハリスンなどの作品を手掛けてきたが、70年代以降は麻薬や奇行などが多くなり、1980年にラモーンズのアルバム『End of the Century』をプロデュースして以降は第一線から退いた。

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Translated by Rolling Stone Japan

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