U2奇跡の来日公演 『ヨシュア・トゥリー』完全再現で炸裂した4人だけのマジック

U2、12月4日にさいたまスーパーアリーナにて(Photo by Yuki Kuroyanagi)

U2の13年ぶりとなる来日公演が12月4日・5日にさいたまスーパーアリーナで開催された。今回は初日のレポートをお届け。執筆者は荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)。

13年ぶりに来日を果たしたU2のジャパン・ツアーは、すでに各メディアで報じられている通り、活動する女性たちをスクリーンで讃える演出(「ウルトラヴァイオレット」)や、アフガニスタンで亡くなった中村哲医師に弔意を示した2日目・12月5日のパフォーマンスが話題になっている。その後、会場での発電に、二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーを使った燃料電池車を用いていたことも明らかになった。初期から社会に目を向け続け、政治的なテーマにも切り込んできたU2らしい行動だが、SNSを見ていると彼らのそういう側面を知らずに驚いている人が案外多い。あれだけいろいろやってきたのに?とも思うが、長い間日本へ来ないうちに、バンドのイメージが変容したところはあるのかもしれない。

そうしたニュースで『ヨシュア・トゥリー・ツアー』という本題についてほとんど触れられていないのも嘆かわしいことだ。彼らの代表作であるアルバム、『ヨシュア・トゥリー』(1987年)については、ちょうどRolling Stone Japanで制作当時の背景を詳しく解説したテキストが公開されたばかりなので、是非ご一読頂きたい

このテキストを読めばわかる通り、『ヨシュア・トゥリー』はいくつもの大きな変化を反映したアルバムだった。パンク・ロックの影響下でバンドを結成、前だけを見て突き進んできたU2が、初めてルーツ・ミュージックと向き合ったのが本作。1985年、南アフリカのアパルトヘイトに反対するアーティストが集って制作されたアルバム『Sun City』にボノが参加したとき、共演したキース・リチャーズからブルースやカントリー・ミュージックについて教わったのを機に、彼らはスポンジのようにアメリカの音楽を吸収していく。また、ウディ・ガスリーなどのフォーク・ソングに興味を持ったことで、そのルーツがアイルランドにあることを知り、初めて自国の伝承歌を意識するようになったのもこの時期だ。前作『焔』(1984年)から制作チームに加わったブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワの薦めもあり、彼らはゴスペルにも急接近していく。


Photo by Yuki Kuroyanagi

音楽性の変化が進む一方、激務続きの日々を過ごすうちにボノと妻の関係が悪化、これが歌詞に影を落とす。1986年にはスタッフのグレッグ・キャロルがニュージーランドで事故死。自分のバイクを運ぶ途中の交通事故だったこともあり、ボノは精神的に大きな打撃を受けた。

そうした体験を経て生まれた楽曲からなるアルバムを、バンドは最初『The Desert Songs」という仮題で呼んでいたという。荒涼とした砂漠の風景を、当時の心境と重ね合わせていたわけだ。ここに後づけで加わったのが、広大な砂漠の中に立つユッカの木、ヨシュア・トゥリーのイメージ。“ヨシュア”を深読みして聖書と紐付けた論評も多かったが、実際はひとつのコンセプトに基づいたアルバムではなかった。

そのような過程を経て完成した『ヨシュア・トゥリー』は、前述した通り、メンバーにとって振り返るのが辛い要素も多分に含むアルバム。曲中で反米の姿勢を打ち出しながら、過去最高にアメリカで売れたこのアルバムを今改めて再訪しようと決心した背景には、トランプ政権に対する反感と危機感があったのかもしれない。

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