80年代生まれの焦燥と挑戦:山内マリコ 「いい時代を知らないからこその強みがある」

作家の山内マリコ(Photo by Miho Fujiki)

「ミレニアル世代」という言葉が市民権を得て久しい。アメリカで1980〜2000年初期に生まれた世代のことを指し、これからの経済を動かすとされている若者たちだ。日本でも同様に「バブル」「ゆとり」「さとり」と常にそれぞれの世代は名前を付けられがちだが、ふと自分たちの世代にはこれといって名前が付いていないことに気づく。今回、ジャンルを問わず花開きつつある30代の方たちと、じっくり話してみることにした。

第2回 山内マリコ (作家)

デビュー作以来、自分と同年代であるアラサー女性のリアルを描き続けてきた作家・山内マリコ。彼女の作品には同時代性のあるカルチャー・アイコン、ファッション・アイコンが多数登場するのも特徴の一つだ。90年代の残像が色濃く残る青春時代の思い出と、地方、そして東京という視座から見る30代後半女性のリアルとは。

― これまでの作品でも自身と同世代の女性について書かれていることが多かった山内さん。この世代特有の、強烈な青春期に触れたカルチャーをバックボーンに持った登場人物が印象的で今回はお話を伺いたいなと思いました。

山内 カルチャー方面に興味を持ち始めたとき、シーンを席巻していたのがちょうどジェネレーションXでした。思春期以降、彼らの作り出すものに憧れて、お手本みたいにして追いかけてたんですね。で、いざ作り手側に回りたいと思った時、自分の世代はパッとしないし、客観視もできなくて。名前もついてなかったんじゃないかな?

― ジェネレーションY、今はジェネレーションXとミレニアルズの間ということで“ゼニアル世代”という言葉も出てきているようです。

山内 日本だと氷河期世代、ロスジェネ、あと香山リカ先生の“貧乏クジ世代”。通りがいいのは“松坂世代”かな(笑)。すぐ下がゆとり世代で注目を浴びるんですが、こっちは注目もされない。ていうかこの企画、私、ドンピシャですね……。

― そう思われますか(笑)。

山内 年齢的にミレニアムで20歳なので、ゼロ年代が自分の時代であるはずなのに、どうも90年代で自分は終わったみたいに思っていて。ゼロ年代はただただ苦難の時代でした。夢至上主義みたいな流れの中で、自分は作家になりたいとやっと意志が固まって、上京したのがゼロ年代の半ば。

― そのきっかけは?

山内 もともと創作欲求はあって、芸大の映像学科に進んでいたのですが、集団行動が苦手すぎて映画はすぐに挫折(笑)。自分には何が向いているのか見極めて、小説に落ち着いたという感じです。90年代に青春期を迎えた人間にありがちな、クリエイターになりたい病をこじらせてました。

― 最も雑誌が出てた時期ですもんね。

山内 そう。雑誌に洗脳されてるから、“クリエイターが一番かっこいいんだ”っていう(笑)。ネットがない分、本当に雑誌から全部教わりましたね。啓蒙されてる感じ。でも田舎なので、趣味を共有できるような友達はいなかった。大学に入ってから、やっと気の合う友達ができて。そうそう、あの頃はガーリーフォトムーブメントもあって、写真もやってたんですけど、まあ下手で(笑)。途中まではそんなに才能がないとか気付いてなかったんですけど、梅佳代さんの写真集『うめめ』を見たときに、才能があるってこういうことか!と、やっと気付きました。同じ学年なんですけど、悔しいとかも感じず、「あんたすごいよ!」と(笑)。

― 確かに。梅佳代さんは時代を転換させた。

山内 あれこそが才能ですよね。一方私は、映画もダメだし写真もダメだった。でも、まだ何かやりたい(笑)。そうして消去法じゃないけど、最終的に自分にはこれしかないと残ったのが、小説でした。文章を書くのはちょっと自信あって。最初は文章を書く仕事ならなんでもいいと、京都でライターをやっていたのですが、そこはやっぱりクリエイター志望の血がうずいて(笑)。真剣に小説家を目指そうと腹が決まって、上京したのが25歳のとき。地元が富山で、大学が大阪、卒業後に京都に行ったので、かなり遠回りしてますね。18歳で東京に出ていた同級生は、もうヘトヘトに疲れている頃で、Uターンするタイミングでした。


山内マリコがレコメンドする作品
『うめめ』梅佳代
2006年リトルモアより発行された、写真家・梅佳代による最初の写真集。翌年には本作で木村伊兵衛写真賞を受賞している。山内さんは「才能があるってこういうことか!」と気づかされた作品と語ってくれた。

EmiriSuzuki

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