ビートルズの薬物事情:LSDが作ったアルバム『リボルバー』

(Photo by Mark and Colleen Hayward/Redferns)


2人の関係は、『リボルバー』の最後のレコーディングセッションにも何らかの影響を与えたかもしれない。バンドは、アルバム用にあと2、3曲欲しいと考えていた。そこでマッカートニーは、いつものように美しい曲『ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア(原題:Here, There and Everywhere)』を提供した。一方レノンは怒りと不安に満ち、恐らくアルバム中で最もパワフルな『シー・セッド・シー・セッド(原題:She Said She Said)』を作った。この曲は、ロサンゼルスでの(ヘンリー)フォンダとの印象的な出会いのエピソードをテーマにしている。「"死ぬっていうのがどういう感じか知っているわ"と彼女は言う/私は悲しみもよく知っている/君が何を知っていようが/俺はいつでもこの世を去る準備はできている/なぜなら君は俺がまるでこの世に存在していないんじゃないかって気にさせるから」。

『シー・セッド・シー・セッド』のセッション中、マッカートニーの出したアイディアをレノンが拒絶した。「ビートルズがレコーディングした曲の中で、あれが唯一僕が演奏していない曲さ。メンバーと口げんかになって"いいさ、好きにしろよ"って言ったらみんなは"俺たちでできるよ"って。僕の代わりにジョージがベースを弾いたんじゃないかな」と、マッカートニーは90年代になって(ポールのオフィシャル・バイオグラフィーの著者)バリー・マイルズに語っている。恐らく、この曲のテーマとなったLSDによるトリップにポールだけが参加していなかったため、ポールに強い発言権がなかったのではないかと思われる。これは、その後ポールとほかの3人が裁判所で対峙することとなる決定的なバンド内の亀裂を予感させるような出来事だった。メンバー同士のいさかいはよくあり、特にレノンは酷かった。「ポール以外の3人は"俺たちは(LSDを)やるけど、お前はどうせやらないんだろ"って感じでちょっと頭がおかしかったから、ポールは完全に蚊帳の外だった。LSDは彼にとってよっぽどショッキングだったんだろうね」とレノンは語った。



マッカートニーはその年(1966年)の内に、ビートルズのメンバー以外と初めてLSDを経験している。1967年のインタビューでマッカートニーは、「神は本当に存在するんだって思えたよ。錠剤の中に神は宿ってないなんてことはわかっているけれど、LSDは生命のミステリーを解き明かしてくれた。本当に神秘的な体験だった」と明かした。さらに「僕たちのやることすべてに道筋を付けてくれた気がする。ものの見方ががらりと変わって、それまでたくさんあると思っていた未開の地なんて実際にはそんなに多くはないんだ、と思いはじめた。障壁なんて打ち破れるものだ、と感じられるようになったんだ」と、LSDの作用について語っている。

それから数ヶ月の間、ビートルズのメンバーはLSDを断つことを誓ったと思われる。しかしLSDに依存し、たびたび他人に心配される状態になるまで摂取していたレノンは、誓いの言葉を守るような人間ではなかった。「彼がいったいどれだけLSDをやっていたかわからない」とハリスンは証言している。1968年のある日、前の晩にLSDをきめたレノンは、「俺は啓示を受けた。キリストが現れ、地球へ戻ってきたことをメディアに発表して欲しいと言った」とアップル・レコードに親しい友人を集めて告げた。

『リボルバー』のレコーディングとミキシングが完了してから2日後、夏のワールドツアーに出発した。ドイツで彼らはアルバムの完成盤を聴いた。マッカートニーは、すべてが調子はずれではないかと一抹の不安を覚えた。メンバーの中で最もよい耳を持つマッカートニーが不安に思ったとしても、ビートルズには、それまで前例のないことを達成し続けてきたという実績があった。

Translation by Smokva Tokyo

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