クインシー・ジョーンズが語る、ジョージ・マーティン:「史上最高のプロデューサーだった」

「彼は史上最高のプロデューサーだった」クインシー・ジョーンズ、50年来の友人だったジョージ・マーティンの死を悼む (Alberto E. RodriguezBrian Rasic/Getty Images)



互いにトップ・プロデューサーであった2人はライバルというよりも、50年以上に渡って親交を深め合った良き友人同士だったという。「お互いの考えていることがよくわかったんだ」ジョーンズはそう話す。「プロデューサーになる人間は様々だ。元シンガーもいれば、エンジニア上がりの人間もいるが、みな自分だけの確固たる美学を持ち合わせているものだ。だが我々は互いをライバル視したことはなかった。こうして尋ねられるまで、考えたことすらなかったよ。我々は本当に良き友人同士で、それ以上でも以下でもなかった。彼は彼、私は私、競い合う理由などないんだよ」その事実を物語るかのように、ジョーンズがプロデュースした『スリラー』のブックレットには、『ガール・イズ・マイン』に参加したジョージが「ジョージ・"ビー・ナチュラル"・マーティン」としてクレジットされている。

ビートルズの数々の作品に慣れ親しんでいたジョーンズは、『スリラー』が誕生する10年以上前から、マーティンの手腕とクラシック音楽に対する造詣の深さに感銘を受けていたという。「私にとってビートルズは史上最高のソングライターだった。彼らが鳴らしたのは単なるロックンロールではなく、音楽の歴史に残るクラシックだった」ジョーンズはそう話す。「ジョージはあらゆる面でビートルズを支えた。文字どおり全てにおいてね。『エレナー・リグビー』での美しいストリング・カルテットの旋律や、『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』の荘厳なオーケストレーションを考えついたのはメンバーだったと思うかい?もちろん違うさ。あれはクラシック音楽に精通したジョージならではのアイディアだったはずだよ。彼はビートルズにおけるキャンバスのような存在だった。だからこそ、人は彼を『ビートルズ第5のメンバー」と呼ぶんだ」




"「ジョージはあらゆる面でビートルズを支えた。文字どおり全てにおいてね」




2人が最後に顔を合わせたのは2006年、シルク・ド・ソレイユによるビートルズのショーのプレミア公演の際だったという。「素晴らしい日だった。あんなにも長く時間を共にしたことは、過去にもあまりなかったからね」2013年にラスベガスで開催された自身の80歳のバースデイパーティを境に、ジョーンズは自身の死について考えるようになったという。「マイケル・ケインは私にとって双子のような存在なんだ。我々は同年同日の同時刻に生まれているんだよ」ジョーンズはそう話す。「共に80歳を迎えた時、彼がこう言ったんだ。『神が転がしたボールが次に当たるのは君か私か、互いに気をつけなければね』それ以来、毎日のように死の影に怯えるようになってしまったよ。だからこそ、ジョージの死の知らせを聞いた時はただ悲しみに暮れていた」

「ジョージはまさに魔術師だった」ジョーンズはそう付け加える。「今刑務所にいるやつの名前は何だったかな。(フィル・)スペクターか?本当のウォール・オブ・サウンドは、オーケストレーションを知り尽くした人間にしか作れないものだ。当時あの言葉は誤った解釈で広がってしまったが、それはジョージのような人物にしか作れないものなんだよ」

コンテンポラリー・ミュージックの歴史における名プロデューサーたちの中で、ジョージ・マーティンをどう位置づけるかという問いに対するジョーンズの答えに迷いはなかった。「ナンバー・ワンさ。彼以上の存在はいないよ」

Translation by Masaaki Yoshida

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