GLAY・TERUが語るバンドの哲学とサマーソニック 「伝説の地」幕張に再び立つことの意味

 
バンドを続けていくことの美学

─先ほどの話に戻ると、99年はGLAYデビューからまだ5年の年でした。そこを少年期の終わりと仮定すると、そこからの活動は、どのような意識の変化があったんでしょう?

TERU:あの時期は、忙しすぎて音楽を作る時間を十分に取れなかった時代でもあって。そこでフラストレーションを溜めすぎてしまったJIROが、このままだったら本当にいい音楽を作れないということになり、当時の事務所と相談し合いながら、3年後まで決められたスケジュールを一回白紙に戻したんです。まずはアルバム作りに専念させてほしいって話をして、音楽をしっかりやっていきたいよねってところに目を向けたんです。その後、いかにライブの中で音楽を届けるかってことで、サポートキーボードなし、映像なしで、3年ぐらい自分たちの力をつけるために、ホールツアーだったり、どさ回りに近いことをやって。僕たちはロックバンドっていうカテゴリーをあまり気にしないタイプではあったんですけど、ロックバンドとして地固めしていきたいと思ったんです。その時期が青年期ではあると思いますね。少年期からが長いので、今はもう中年期になってると思うんですけど(笑)。

─国民全員がGLAYを知っている状況の中、そこまで削ぎ落とせたことがすごいですよね。

TERU:ある種、バンドを長く続けていく上では必要だったと思うんです。当時ちょっとした解散ブームもあって。2000年を迎える時、友達のバンドの解散も多かった。JUDY AND MARYもそうだし、当時のLUNA SEAもそうだった(※2000年に終幕を宣言し一度解散したが、2010年に活動を再開)。その中で、GLAYは続けることを美学として掲げていたバンドでもあって。絶対解散しないバンドって言い続けながら活動していたんです。10年後、20年後、本当におじいちゃんになるまで一緒にやっていこうよってことをファンの子たちと共有しながら活動してるってこともあって、そのための選択肢として、演奏力を上げたり、色んな音楽を勉強したり、しっかりとやってきたんじゃないかなと思います。


Photo by Masato Yokoyama

─続けていくことの美学はいつぐらいからあるものなんでしょう。

TERU:2000年に入ってからだと思いますね。さっき言ったJIROがフラストレーションを溜めて、これじゃあ音楽をちゃんと作っていけないって時期は、忙しすぎて、本当に寝る間もなく活動してた時期でもあって。テレビ、雑誌、ラジオとか、音楽以外に時間を取られることが多かった。そのとき、解散の危機があったんです。それを乗り越えた時に、メンバーの中で、解散する必要ないよねって話になって。メンバー同士の話ではなく、会社と戦おうみたいな感じで、バンドの結束力を確認できたのが一番大きな要因だったんじゃないかなと思いますね。

─2019年のデビュー25周年のときに、GLAYはデモクラシー宣言をされました。民主主義バンドっていうのもGLAYの特徴ですが、その意識も2000年前後にはあったものなんでしょうか?

TERU:そういうことを意識はしていなかったと思うんですけど、何かを決める時にも4人の意見が1つに固まらない時は絶対動かないってルールが自ずとできていて。GLAYは、メンバーファーストなんです。本当にメンバーがやりたいことを、しっかりと話し合ってやっていく。それは、当時からずっと言っていましたね。TAKUROから提案があったのが、マネージャーも介さずメンバーで直接話していこうということで。何か悩みがあったら直接話をする。車の移動も必ず4人でする。それぞれのマネージメントをつけて1台1台行くんじゃなくて、みんなで固まっていこうよって。その提案が今でもずっと守られているのもまたGLAYらしいし、今の結束力に繋がる要因の1つなんじゃないかと思います。




─ある意味で、GLAYがJ-POPやJ-ROCKといったものを時代とともに作り上げた功績もあると思うんですけど、そうしたものを背負っている感覚はありますか?

TERU:デビューした時は、ポストBOØWYみたいなことを言われたり、途中でヴィジュアル系って呼ばれたり、テレビだったり音楽雑誌だったりで、いろんなカテゴリーにはめられてきて。結局J-POPとかJ-ROCKってところに落ち着いて今活動していますけど、あまりそういう意識はしていなくて。背負っているのかどうかはわからないですけど、次の世代に、今のビートとか、日本特有のロック感を残していきたいとは思っています。そういうところでは第一線で背負っていっているものはあるんじゃないかなと思いますね。さっき10年後もアリーナツアーをやっていきたい思いで活動しているという話をしましたけど、僕個人としては、第一線で立てるだけの体力をつけて、音楽に対するひたむきな姿勢を次の世代に伝えていきたい想いはありますね。

─これもTAKUROさんがラジオで話していたんですけど、「世界の音楽シーンとの差が開いてるように感じている。ただ、J-POPとかJ-ROCKは日本独自に進化を遂げているから、そこを突き進んでいく決心がついた」って発言が印象的でした。

TERU:世界を意識はした時代もあったんですけど、J-ROCKって独特じゃないですか? 日本の文化になり得る。世界で通用するのか通用しないのかっていうよりも、独特な世界観はそのまま残していきたいなと思いますよね。しかも僕らは、それが純粋に好きでやっているので。日本語の綺麗な表現の仕方とかTAKUROは重んじて歌詞を書いていたりするので、もし残せるのであれば、GLAYが先頭を切って残していきたい思いで今はやっています。

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