おおくぼけいと竹内理恵、現・頭脳警察のメンバーが語るPANTA

頭脳警察

音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。

2024年2月の特集は、去年の7月に73歳の生涯を得た不屈のロッカー、PANTA追悼。日本語のロック・バンドの礎となった頭脳警察でデビューし、ソロのシンガー・ソングライター、PANTA & HALなどのバンドで活躍した歌い手で不屈のロッカーでもある彼の50年の軌跡を、2月5日に発売された遺作である新作アルバム『東京オオカミ』と語っていく。

田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのは頭脳警察の「絶景かな」。2月5日に発売になった新作アルバム『東京オオカミ』の最後の曲。今週も前テーマはこの曲です。

絶景かな / 頭脳警察

2024年2月の特集は、去年の7月に73歳の生涯を終えた不屈のロッカー、PANTA追悼。今週は4週目ですね。ゲストに今の頭脳警察のメンバーをお迎えしております。キーボードのおおくぼけいさんとサックスの竹内理恵さん。おおくぼけいさんはもう既にデビュー15年のバンド、アーバンギャルドの一員、海外ライブも経験しているという方です。プロデューサーとしても活動しています。竹内理恵さんは東京藝大を出て、この世界に入ってきて今はアナーキーの仲野茂さんのバンドでも活動されてます。そしてもう一方、1週目でも登場していただきました、この10年余りのPANTAさんを支えてきたアルバム『東京オオカミ』のディレクター、マネージャー、プロデューサーでもあります。田原章雄さん。お2人にとっての頭脳警察。そしてPANTAさん。さらに今後の頭脳警察について伺っていこうと思います。こんばんは。

一同:こんばんは。

田家:先週志田歩さんが今のバンドがとても充実しているという話をされておりましたが、まさに今のバンドならではのお2人をお迎えしております。お2人が今回のアルバム『東京オオカミ』で思われることはどんなものか最初に伺っていいですか。おおくぼさん。

おおくぼ:遺作とか言われるんですけども、同時に僕らが4年、5年一緒にPANTAさんとTOSHIさんとやってきた頭脳警察の1stアルバムみたいなところもあって。遺作でありながら、未来を見ているような、そんなものになっているのではないかと私は思いました。

竹内:私もけいさんがおっしゃっていたのと同じような印象を持っていまして、PANTAさんにたくさんアイデアがある中で、今形になるものをこのメンバーでやってみようと。もっと時間があればもしかしたらどんどん作品ができたでしょうし、最後と思わないでみんな作業していたと思います。今一番いい音をみんなで出そうと作れたアルバムだったなと思います。

田家:これは田原さんが一番よくご存知なんでしょうけども、病状が変わっていったりすることはどんなふうに受け止めていたんですか?

田原:ちょうどあのときにある治療方法が効果を出したんですね。それまで入院している中で、体調が奇跡的に復活をして。PANTAさん本人からしたら入院中自分でパソコンだけに向かってやってきたこと、自分の中で取り入れたことをとにかくみんなに話したい、みんなと共有したい、作りたい、音楽に関してもとにかく語りたいという気持ちが溢れ出るようで。

田家:そういうお2人から今日はそれぞれ4曲ずつ選んでいただいたのですが、まずはおおくぼさんがアルバム『東京オオカミ』の中で選ばれた曲をご紹介します。「冬の七夕」。

冬の七夕 / 頭脳警察

田家:これはTOSHIさんも選ばれてましたけども。アレンジはおおくぼさん?

おおくぼ:そうですね。PANTA et KeiOkuboというPANTAさんと僕のピアノのユニットがあって、そのときに「冬の七夕」を弾き語りでやってらっしゃったんですけど、本格的にやりたいとなったときにじゃあ、こんな感じでやったらどうでしょうかねというところから始まって、アレンジが僕という感じになっていますね。

田家:やっぱりそういう意味ではアルバムの中で一緒に作ったという想いが強い?

おおくぼ:あとは橋本治さんが亡くなったときに田原さんが連絡を受けて作った曲ということで、実は僕が初めて頭脳警察の2人と演奏をしたのがあるラジオ番組の中のライブで。その日がなんと橋本治さんのお通夜の日だったんです。そのときに「悲しみよようこそ」をやったりとか、いきなり橋本治さんと関わり合いのある日に始まったことではあったので、僕の想い入れも深い曲だなと思って。

田家:田原さんは橋本さんが亡くなったときにPANTAさんから連絡を受けたんでしょう?

田原:そうですね。PANTAさんがお1人で川沿いまで車を走らせて、その川沿いで一人でいるときに私に電話がかかってきて。こういう曲を今作っているんだけどって。翌日ラジオの収録があって、お通夜に行けないからって話もしたんですけども、そのときに一人で携帯に向かって歌ったのがこの曲のもともとの原曲というか。

田家:タイトルが「冬の七夕」ですけど、PANTAさんが亡くなったのも七夕。

田原:そう、七夕なんですね。

おおくぼ:これの元ネタというか「冬の七夕」というのがあって。宮沢賢治と彼の親友である保阪嘉内の関係に焦点を当てたドキュメンタリー(ETV特集『宮沢賢治 銀河への旅 ~慟哭の愛と祈り~』)があるというので探して観たんですけど、そのドキュメンタリーにはそんなに冬の七夕って話は深く出てこないんですよね。でも、そこにPANTAさんが感銘を受けてというか、そこからの想像力の広がりがすごいなと思って。

田原:保阪嘉内と宮沢賢治が2人で東北の海に、ケンタウルス座を見に行くんですね。2人の出会いと別れみたいなことを、橋本さんとPANTAさんの出会いと別れにつなげて、これが1つのファーストミーニングとまた別々の2人のことでセカンドミーニングが重なってきて、それだけではないところにさらにPANTAさんがサードミーニングをつけていくというのがこの「冬の七夕」の歌詞になっていったんだと思いますね。

Rolling Stone Japan 編集部

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