BREIMEN・高木祥太とヘアスタイリスト・木村一真が語る、ヘアメイクの奥にあるもの

「エゴ」と
「相手の要求を超える」の違い

高木 俺はキムのことを「オフェンスヘアメイク」だと思っていて。基本的に「攻め」で、特に俺を一番攻めの実験に使ってると思う。どう?

木村 そうかも。祥太は「攻め」のキャパが無限大だから。「見えないものを見つけたい」みたいな、そういう刺激を楽しむことを祥太とはやらせてもらってる。

高木 毎回そうなるよね。ライブを年間何本もやっていると、とにかく飽きたくなくて。ヘアメイクによって気分が変わるから、ライブをするにも何かを撮るにもめっちゃ大事で。キムは飽きさせないでくれる感じがある。

ーいろんなミュージシャンや俳優とお仕事されている中で、祥太さんの攻められるキャパが無限大だと感じられるのは何が要因ですか?

木村 祥太はすべてにおいて肯定的。人の意見とか表現に対してあまり否定的な考え方がない。それは無限大のもとなんじゃないかなと思います。

高木 否定から入りたくないというのはある。俺がサポートをやるときもそうだけど、ミスをなくすことよりもチャレンジしていたいから。TENDREでもTempalayでも、1回もやったことないことをなるべくやりたいというか。毎回安定して演奏するのとは対極で。そのほうが俺も楽しいし。それを受け入れてくれたり楽しんでくれたりする人にしか呼ばれなくなってでも、そうしたい。だからもう、エゴを出しまくってるともいえるよね。キムのスタンスがそうというわけではないかもしれないけど、でもキムがヘアメイクしてるものってすぐにわかるから、大事にしていることは同じなんじゃないかな。

木村 確かに、エゴと思ってやってる時期もあったんだよね。「自分の爪跡を残したい」「自分のヘアを認められたい」とか、世の中に対しての承認欲求がある時期もあった。それはいわゆるエゴで。

高木 そうだね。

木村 それを抜けた瞬間があったんだよね。抜ける前のそれは「エゴの中のエゴ」というか、エゴりきれてないと思って。もっと突き詰めたエゴがあるんじゃないかということを思ったんだけど。

高木 キムはエゴりきったわけではなく、別のところに行ったということ?

木村 そう。そういうことをやろうと思っていた時期もあるんだけど。そうじゃなくて、本当にいいものって何なんだろうということを信じ込んでやりきる。その迷いのなさみたいなものは、どの現場でも共通してるところかも。

高木 最終的に「いいもの」にたどり着きたくて、そこに対していろんなプロセスがある中で――たとえば誰かのサポートだったら、本人が見えているものについていくことで「いいもの」に到達する可能性もあるんだけど、俺の場合は、毎回自分の意思をだいぶ入れたくて。でも目的としては「いいもの」に向かうことだから、エゴといえばエゴだし、エゴじゃないといえばエゴじゃないというか。

木村 エゴの集合体がとってもいいものを作ったり、エゴのためにやっていたのに自然とそれがひとつのエネルギーになったり。

高木 そういうときが一番いいよね。

木村 しかもそれってその瞬間にしか出せない表現になるから。俺もそういう感覚でやってる。第一に、ヘアメイクってあくまで受け手の仕事という認識が強くて。でも諦めきれない何かを常に求めたいというのが、俺の中のプロ意識ではある。それがさっき言ってた、「こうしてほしい」と言われたときに、「こうしてほしい」の向こう側を見せられるかということだと思う。

高木 確かにね。キム、結構会話するじゃん。そのときって、「こうしてほしい」「こういう気持ちになりたい」のひとつ奥の階層を見ているような気がする。

木村 そう。

高木 たとえばお客さんが「はっちゃけたい気分だから髪を染めたい」と言ったとして、本当に髪を染めるのがいいのか、別の方法論で髪を染める以上のことができるのか、ということを探ってる感じがする。

木村 そうだね。


Photo by Goku Noguchi, Hair and Make-up by Kazuma Kimura, Styling by Riku Murata

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