長渕剛が真摯に語る、「血」をテーマに歌をつくりたかった理由

―では、そのニューアルバム『BLOOD』についても掘り下げていきたいのですが、真っ向から怒りを爆発させる歌もあれば、誰かの弱さに寄り添う歌もあり、家族への想いを綴った歌もあり、長渕剛の持つあらゆるベクトルに振り切れた高純度のアルバムでありながら、そのすべてに普遍性を感じる傑作になっていて、非常に感激しました。

長渕剛:そうですか。嬉しいですねぇ。

―そのアルバムの1曲目を飾る「路上の片隅で」。言うならば「返せよ 返せ! 俺の稼いだ銭を」と多くの日本国民が思っているであろうことを歌い叫んでいる楽曲ですよね。政治批判的な曲を歌うことに躊躇う音楽シーンの風潮がある中で、長渕さんは昭和から令和に至るまでテレビ番組でもそれを歌い続け、この新曲でも激しく訴えかけています。この姿勢を貫く背景にはどんな想いがあるんでしょう?

長渕剛:あのね、貫いてると言えるような格好良いもんじゃないかもしれない。単純に我慢できない(笑)。「もう我慢できない、ギター持ってこい!」と。限界までは我慢しているんですよ。でも、もう無理だと思ったらギターを持つしかない。あと、今回の「路上の片隅で」で書いていることは「僕も君もおまえもそう思っているよね?」という前提ですね。それがコンサートという集合体になったときに炸裂するといいなと思いながら作りました。

―以前、朝の生番組に出演されてTOKIOへの提供曲「青春(SEI SYuN)」を歌詞の一部変更して披露したじゃないですか。あのタイミングで彼らにエールを送る姿勢もそうでしたけど、誰も歌わないなら俺が歌おうという在り方はずっと変わらないですよね。

長渕剛:そうかもしれないですね。自分もみんなも同じ時代の額縁の中で生きていて、それで昨日までの価値観がいきなり180度変わる。正義と悪がいきなりひっくり返る。そういう時代の中にいると、塩梅が悪いわけですよ。自分がどこの椅子に座って何をやっているのか分からなくなってしまう。それじゃ困っちゃうんで。例えば、スマホという道具も良いほうに使われればいいんだけど、人を不幸に貶めるとか、ひとつのファシズムみたいなところへガァーって流れたりとか、それによってビクビクしながら縮こまらなきゃいけない人々が生まれる状態になったら「こっちに風穴を空けなきゃマズいんじゃない?」と。そこの調和みたいなものが自分にとっては大事なんです。みんなもそうだし、俺自身が俺じゃいられなくなっちゃうときもあるから。だから、何かが極端に片方に傾いたときには、その逆側から誰も歌わないことを歌ったりするんだと思いますね。

―今の話とも繋がるかもしれないですが、誰かの弱さに寄り添う曲も歌われてきていますよね。今作においては「ひまわりの涙」「Face Time」「いいんだよ ばーか!」などがそういう曲だと思うのですが、長渕さんは人の弱さをどう捉えているんでしょうか?

長渕剛:僕は自分の弱さに関しては、超えていかなきゃいけない壁なので、厳しいものを自分に当て込んでブラッシュアップしていく作業が必要なんですね。それは意外と嫌いじゃない。自分の中に内在する弱さがパンと強さに跳ね上がるんなら、それはやるべきことなんで。ただ、自分と関わり合う人間。その人たちの弱さに触れてしまったときに「力を与えたい」という気持ちの前に「美しい」と思っちゃうんですよ。堪えきれなくて涙がカァーって出るんですね。共感、共鳴して震えてしまう。それを宝物のように大事にしたいなと思うから歌にしていくんでしょうね。

―宝物と言えば、本作には息子と孫娘について綴った家族の歌「ZYZY」が収録されています。お孫さんについて歌うのは初めてのことだと思うのですが、どんな想いで書かれた曲なんでしょう?

長渕剛:自分が抱きしめた最初の長男がWATARU。可愛かったですね。自分の息子が出来たときは本当に感動したし、妻に本当に祈りまで捧げて「ありがとう」という言葉を何回も言いましたし、女性は偉大であるということも教わりました。で、その子供を抱きしめてから、僕は当然子供の為に一生懸命働く。一生懸命戦いに出ていくイメージで頑張ると。たとえ負傷しようとも、家に帰ってきて「おとうさん」と抱きついてくる息子を抱きかかえれば、またそれが力に変わった。ただ、その息子が5才になったとき「強くあれ!」と極真に入れてしまったわけですよ(笑)。自分はまだ30代でピリピリしていましたし、僕は自分の幼少期を呪うように生きてきたので、最愛の息子には強くなってほしいと思ったんですよね。

―愛情ゆえの極真入門だったと。

長渕剛:息子からしてみれば、今じゃ笑ってくれていますけど、そこからの十数年は地獄だったと思います。一切の遊びを許さずに、僕は門を立ち塞ぎながら「空手だ」と。親子共々空手道場に行って、自宅にも空手道場をつくって、空手漬けになるわけですから。そして、僕が青アザになるぐらい蹴らすんですよ。ボコボコになるまで蹴らす。そういう子供との思い出があって、それは10年ぐらい続きました(笑)。そのことで父と息子のあいだに出来た絆というものは、おそらく理屈じゃないんですよね。そして、息子は千葉を愛していましたから、サーフィンもやって屈強になりました。空手も黒帯を取りました。その彼が、僕がプロモーションビデオの撮影で千葉へ行ったときに「親父ぃ!」と言って、髪の長いスレンダーな女の子を連れて走ってくるんですよ。その光景が昔の言い方をすると、綺麗なラブストーリーのスローモーションみたいで。

―トレンディドラマみたいな(笑)。

長渕剛:そう、そう(笑)。でも、すっかりその姿に見惚れてしまいましてね。で、息子が「おにぎりつくってきたよ!」って僕のスタッフの為におにぎりを振る舞って。そして、のちにカミさんになる女の子が「はじめまして」と挨拶してきて、息子は「今度、女房になるから」と言うわけですよ。そのときに「自立していき、やがて僕の胸元を離れて、強い男になったんだなぁ」という寂しさと同じぐらいに誇りに思うような。「おまえも立派な男になったんだな。がんばれよ」という風な想いが込み上げて、そのときに「ZYZY」の歌詞にある通り「二つ目の涙を流した」わけです。

―その瞬間の描写だったんですね。

長渕剛:ただ、そのふたりの最初の子は死産だったんです。家族みんなで弔いました。泣きました。その悲しみを乗り越えて、やっと生まれた健康児がLaLa(ララ)だったんです。女の子。そこで「三つ目の涙を流してる」という歌詞にある通り、僕は泣いたんです。何が言いたいかと言うと、親はみんなそうだと思うんですけど、あのときのあの赤子がひとつの家庭をつくったと。これが何物にも代え難い喜びであり、何物にも代え難い……寂しさなんですよ。そこには表裏があるんですね。そういう想いがあって、やっぱりLaLaを抱きしめたときは「WATARU」と息子の名前を心の中で呼んだんです。そのことをWATARUに残しておきたかった。だから歌にしたんです。そういう風に血は連綿と繋がっていくもの。ということは、やがて子供は自立して家庭をつくり、自分の父がそうであったように、僕もそのうち影も姿も無くなってしまう。だけど、歌だけちょっと残しておいたら「アイツはいっぱい泣いてくれるかな」と思って(笑)。

―親父の本音(笑)。いやぁー、良い話だなぁ。

長渕剛:「親父ぃ! 今、わかったよ!」って言ってくれるかな?

―長渕さんは自身の父母の死について歌った曲をそれぞれつくられていますけど、自分がやがて逝くときの歌を自分で用意しておく……。

長渕剛:そうです(笑)。

―これは初めてですよね(笑)。でも、長渕さんらしい発想だなと思います。ずっと家族について歌ってきた人ですから。

長渕剛:娘が生まれたときは「NEVER CHANGE」という歌をつくって、彼女の声も収録しました。ウチの子供たちは三人三様で。次男は音楽の道へ。長男は音楽とサーフィンの道へ。娘は女優の道へ進みましたけれども、やっぱり僕にとって自分の子供というのは、生まれたときのまんまの子供なんでね。すごく愛してやまないという想いはみんなと同じぐらい、もしかしたらそれ以上に持っているかもしれない。それと「やがて別れていくんだ」ということも当然理解していて。そこにどう折り合いをつけるんだ?っていう部分も歌にしないと、寂しくてやりきれないんですよ。誰かが「みんな通る道なんだから、あたりまえのことだろう」と言うかもしれないけど、僕からしたらあたりまえじゃない。あたりまえにしないでほしい。

―「歌にしないとやりきれない」これって長渕さんの全曲に当てはまる話ですよね、きっと。

長渕剛:そうですね。何に対しても、歌に残すことで「よかった」って折り合いをつけているんだと思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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