ニューエイジ再評価の今、「癒し系」と呼ばれたディープ・フォレストに耳を傾けるべき理由

結成のいきさつ、ハイコンテクストな方法論

ディープ・フォレストが体現する、ポジティヴィティと「博愛」あふれるエスニック・ビート。果たして、それはどこからやってきたものなのだろうか。この問いを考えるにあたっては、やはりメンバーの経歴を遡ってみるのがいい。前述した「Sweet Lullaby」のヒットの印象が強烈なため、ともすると突然シーンの前線に躍り出てきた感を抱かせる彼らだが、実のところ、現メンバーのエリック・ムーケと元メンバーのミシェル・サンチェーズ両人のキャリアはそれ以前の80年代前半に遡る。彼らは、元をたどればフランス国内でセッション・ミュージシャンとして活動し、コンテンポラリーなシャンソンやシンセ・ポップ、ユーロ・ディスコ系の制作に携わってきた中堅ミュージシャン達だった。つまり、下積み的な仕事が多かったとはいえはじめから相当に商業的な領域で活動してきたのがムーケとサンチェーズという音楽家だったのだ。

そんな二人が、ディープ・フォレストを結成するきっかけとなったのは、サンチェーズがかつて薫陶を受けたコンセルヴァトワール時代の恩師から、ユニセフに保存されていたピグミー族の伝承歌を聴かされたことだった。その音源の素晴らしさに衝撃を受けたサンチェーズは、早速スタジオ仲間のムーケにも聴かせた。するとムーケは、そこに現代的なビートを加えてみてはどうだろうと提案したのだった。


『Comparsa』ブックレット写真より(Discogsから引用)

この時に彼らが協力を仰いだのが、ベルギーのスタジオ・オーナー兼ミュージシャン、ダン・ラックスマンだった。彼が二人の話に乗りプロデュースを引き受けると、早速録音作業が開始された。

ラックスマンといえば、シンセ・ポップのファンにはお馴染みの名前だろう。彼は、かつて、70年代末から80年代にかけて母国ベルギー国内外で人気を博したシンセ・ポップ・ユニット、テレックスの一員として活動してきたベテランだった。初期ディープ・フォレストが、このラックスマンの手を借りて音楽的なアイデンティティを確立していったという事実は、殊のほか興味深い。なぜなら、ラックスマンもまた、テレックス以前からシンセサイザーを駆使した軽音楽系の仕事で実績を重ねてきた経験を持つ、商業音楽界をよく知る抜け目のない人物であったからだ。とすれば、初期ディープ・フォレストの楽曲へ濃密に溶け込んでいる最新のエレクトロニック・ミュージックへの素朴な信頼感や、民族音楽の引用/編集というポストモダン的手法の裏側に覗くある種のキッチュさのようなものは、他でもないメンバーおよびプロデューサーの資質と経験が素直に現れたものであったのかもしれない。




その一方で、ディープ・フォレストの作品には、上に述べてきたような「素朴さ」の傍ら、過去、同時代、そして彼らの後に現れた諸音楽とのハイコンテクストな結びつきを少なからず観察できるという点も、同じように重要だろう。その楽曲を詳しく分析してみれば、(先に述べた通り)グラウンド・ビートやダウンテンポ、アンビエント・ハウス等のクラブ・ミュージック・シーンの潮流を上手に取り入れているのがわかるし、エールやZero 7などのような後進アーティストの作品を彷彿とさせる先駆的な要素も聴ける。

加えて、ムーケとサンチェーズの二人は、自らの重要な影響源としてフュージョンの始祖的なグループであるウェザー・リポートの名を挙げており、実際に3rdアルバム『Comparsa』収録の代表曲「Deep Weather」で元メンバーのジョー・ザヴィヌルと共演を果たしてもいる。反対に、ザヴィヌル自身もまたディープ・フォレストの音楽を高く評価していたことでも知られている。実際、80年代末からザヴィヌルが率いていたグループ、ザヴィヌル・シンジケートの諸作は、第三世界の音楽要素を積極的に取り入れるなど、ディープ・フォレストの方法論とも少なからず重なる部分もあったように思われる。


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